成体組織中の細胞の多くは分裂が遅いか非分裂です。組織細胞の数は、一般的に加齢に伴って減少します。
高次機能に関わる大脳皮質や小脳皮質では加齢による減少の度合いが大きく、生命維持に基本的に必要な脳幹では運動機能に関係する部分を除けば比較的小さくなっています。
神経細胞死の原因についてはよくわかっていません。生命の維持に必須な脳幹神経の細胞死が比較的軽度であるのに対して、学習や記憶のような高次元な機能を 担う皮質部分の細胞が脱落しやすいのは、生命の維持に必須な部分は無意識のうちに使っているのに対して高次機能に関係する部分は年をとると面倒になって使わなくなるためか もしれません。 しかし、別項(「個体を構成する細胞:分裂細胞と非分裂細胞」)に書きましたように、現在は脳神経細胞の脱落は以前に考えられていたほど顕著でないとされています。
神経細胞にとって細胞数以上に重要なのは神経突起の数です。神経突起は、記憶に必要なネットワークを作ることに必要です。歳をとると神経細胞の突起の数が減少することが知られています(図22)。
遊び道具のある豊かな環境のケージで数匹の仲間たちと一緒に飼育された高齢(25.5-30ヶ月齢)ネズミ(図12-3)では、神経突起の発達を反映する皮質の厚みが、殺風景な金網のケージで一匹だけで飼われたもの(図12-1)よりも厚くなるという報告(M.C. ダイアモンド「環境が脳を変える」(どうぶつ社、1990))があります。
このように高齢であっても外からの刺激で脳機能が高進する可能性があることには、大いに勇気づけられます。ヒトでも周囲の人々の配慮や本人の自覚しだいで脳機能の老化が抑えられる可能性が考えられます。
最近の論文によるとアルツハイマー病の原因とされるβアミロイドの脳への蓄積を遺伝的に起こし易く改変したモデルマウスをおもちゃや回転カゴをいれた豊か な環境のケージに入れて(毎日3時間一ヶ月間、さらに週3回4ヶ月間)“遊ばせる”とβアミロイドの蓄積が大幅に減ったということです(Lazarov et al. Environmetal enrichment reduces Aβlevels and amyloid deposition in transgenic mice. Cell 120: 701-713, 2005)。特に回転カゴ運動をよくやったマウスでそれが著しかったのは大変興味深いことです。
変化に富んだ豊かな環境にさらされたマウスの脳ではβアミロイドを分解する活性のあるネプリライシン(「老化が関係する病気 アルツハイマー病」)の活性が高くなったと報告されています。このモデル実験は遺伝的に認知症を起こし易い場合ですらライフスタイルによってそれを軽減できる可能性を示しています。
Rosenzweig MR, Krech D, Bennett EL, Diamond MC: Effects of environmental complexity and training on brain chemistry and anatomy: a replication and extension. J Comp Physiol Psychol. 55: 429-437,1962
(解説:MCダイアモンド「環境が脳を変える」(どうぶつ社、1990年)p.179)より改変
Rosenzweig MR, Krech D, Bennett EL, Diamond MC: Effects of environmental complexity and training on brain chemistry and anatomy: a replication and extension. J Comp Physiol Psychol. 55: 429-437,1962 (解説:MCダイアモンド「環境が脳を変える」(どうぶつ社、1990年)p.179)より改変
散歩などの日常的な身体活動が糖尿病や高脂血症などの生活習慣病の予防に役立つことは一般によく知られています。あえてデータを示す必要はないでしょう。脳機能はどうでしょうか。老化という観点からはとりわけ高齢者の生活スタイルと脳機能の関連が気になります。高齢者の日常的な身体活動と病気や生理機能との関連を調べた研究をいくつか紹介しましょう。
図29は一日の歩行距離と認知症発症のリスクとの関係を調べた研究結果です(アメリカの研究なので歩行距離がマイルで表現されているものを(キロ)メートルに換算してあります)。対象の年齢層は多くが後期高齢者です。一日400メートル以下しか歩かない人から3キロメートル以上歩く人までを歩行距離別にグループ分けしてあります。どのグループも平均年齢はほぼ同じです。アルツハイマー病もその他の認知症も歩行距離の短い人と長い人の間には発症リスクに2倍の違いが見られます。よく歩く人の方が認知症にかかりにくい。この研究結果は身体活動が認知症の防止に役立っていることを示唆していますが、この種の研究は同一条件の人々をグループ分けしたあと毎日散歩をさせたりさせなかったりして調べたものではありませんから、それぞれのグループの人たちがもともと運動能力あるいは散歩を続ける意欲と体力で異なっていてそれが認知症リスクに関係していた可能性は否定できません。しかし、身体活動の活発不活発が認知症リスクに関係していることは間違いないでしょう。
図30は退職後の日常活動が脳血流量と認知機能におよぼす影響を4年間追跡調査した結果です。仕事を続けている人、退職はしたけれど趣味その他で活動的な生活をしている人、何もしないで(?)不活発な生活をしている人を比較しています。脳血流量の低下は活動的な生活を送っている人が一番少ない。認知機能についてもそうです。興味深いことに、漫然と(?)仕事を続けている人よりも仕事以外で活発な生活をしている人の方が低下が少ないように見えます。新たなことに取り組む柔軟な頭と意欲の持ち主が高い機能を維持できるのかもしれません。