老化介入・老化制御

抗老化“酵素健康法”の真偽

 近年、新聞等で不健康や老化は酵素が足りないから起る、酵素を沢山摂取すれば健康になる、といった宣伝を目にします。それには科学的な根拠があるのでしょうか。もしあるのなら、どんな証拠があるのでしょうか。

酵素とは

 身近な酵素というと消化酵素でしょう。消化酵素の働きは口の中や胃腸で食べ物を消化する、あるいは消化を助けることだと教えられていると思います。消化酵素の中には、その作用が食物の消化を助けるということから、食べ過ぎた時やお腹の具合が悪い時にのむ薬になっているものもあります。“助ける”という言い方をするのは原理的には酵素がなくても消化が起るからです(実際はあとでお話するように、酵素がないと消化はほとんど起こりません)。消化とは食物の中のタンパク質やデンプンや脂肪(中性脂肪)を体内で使うために分解(化学結合を切断)することです。分解を“助ける”というのは専門用語では“触媒する”といいます。触媒とは化学反応の効率を高める物質のことです。そのため酵素を“生体触媒”と呼ぶことがあります。酵素の中には化学結合を切るだけでなく結合を作る反応(合成反応)を触媒するものもあります。

 触媒は通常、反応で消費されないため、酵素量は少なくて済みます。しかし、タンパク質である酵素は種々の原因(たとえば活性酸素)で変化したり、劣化したり、活性を失ったりします。こういう酵素を異常酵素といいます(『老化のメカニズム 生体分子に起こる加齢変化 04−異常タンパク質の蓄積』を参照)。異常化した酵素の多くは分解除去され、代わりに新たなものが合成されます。酵素は一般のタンパク質と同様に細胞内でDNAに書き込まれた遺伝情報に基いて作られます。必要に応じて同種のものが作られたり、新規なものが作られたりします。いずれの場合も酵素が作られるためにはタンパク質合成(アミノ酸を結合して高分子にする反応)が必要です。タンパク質を作るためには材料のアミノ酸に加えてエネルギー(ATP)が要ります。酵素は一般にアミノ酸が数百個以上つながり、立体的に複雑な形をした高分子です。酵素の中には幾つものタンパク質が結合して大きな複合体を作って機能するものもあります。

 上に書いたように生体内の化学反応は酵素がなくても起こり得ます。しかし、酵素がある場合とない場合では、反応の速度は何倍も、いや通常何百万倍も何千万倍も違います。酵素があれば数秒、数分で済む反応も酵素がないと何百年、何千年もかかるのです。したがって、反応を助けるといっても、酵素がなければ実際上目的の反応は起こらないといっていいでしょう。酵素がないと反応の方向性が定まらず、生体に必要な物質は多くの生成物の一部に過ぎません。反応の方向性(どの物資の、どの結合を切るか、どことどこを結合するかなど)を厳密に決めるのも酵素の働きです。そのため、構造の似た物質が沢山ある生体内で起る多種類の反応に多種類の酵素が必要になるわけです。
 酵素反応速度は、一般の化学反応と同様に温度に依存します。ある範囲内では温度が高いほど速度は速くなります。温度が下がると反応速度は大幅に低下します。私たちの体温が10度下がったら、長い時間生きていることはできないでしょう。生体内の化学反応速度は温度が10度下がると二分の一くらいになってしまい、生命を維持するのに必要な代謝、とりわけエネルギー(ATP)産生、を続けることが出来なくなるからです。

 酵素反応の最大の特徴は、その高い特異性にあります。特異性が高いというのは一種類の酵素は原則的に一種類の反応しか触媒しないということです。反応に関わるのは化学物質ですから、特異性というのは、言い換えれば、一種類の酵素は特定の構造の物質にしか作用しないということです。酵素が作用する物質を基質(きしつ)といいます。したがって、酵素の特異性というのは基質特異性ということになります。例えば、ショ糖(日常的には砂糖といいます。単糖であるブドウ糖と果糖が結合した二糖)を2つの単糖に分解する酵素(ショ糖分解酵素、スクラーゼ)(“ブドウ糖の分解を触媒する酵素”と言うのが正確な言い方ですが、簡単のために以後の話では“ブドウ糖を分解する酵素”のように言うことにします)は、一見よく似た化学構造の乳糖(ブドウ糖とガラクトースが結合した二糖、ミルクの中に多くある)は分解しません。だから、余談ですが、腸内の乳糖分解酵素ガラクトシダーゼの活性が高い赤ちゃんや幼児の時代は母乳や牛乳の中の乳糖を分解できますが、大人になると一部のヒトでは酵素活性が弱まって乳糖がよく分解できない乳糖耐性という状態になり、消化吸収されない乳糖が水分とともに腸内に溜まってお腹がゴロゴロしたり下痢をしたりするという訳です。
 しかし、酵素の中には基質特異性がそれほど高くないものもあります。例えば、お酒やビールの中のアルコール(エタノール=エチルアルコール)を代謝するアルコール脱水素酵素は、エタノールを代謝して二日酔いの原因とされるアセトアルデヒドを産生します(アセトアルデヒドはさらに代謝されて酢酸になり、エネルギー(ATP)に変換されたり、脂肪酸に合成されたりします)。この酵素がエタノールと構造が似たメタノール(メチルアルコール)に作用するとホルムアルデヒド(ホルマリン)を作りだし、強い毒性を発揮します。ですから、間違ってメタノールを飲むと大変なことになる可能性があります。ホルムアルデヒドの方がアセトアルデヒドよりも反応性がずっと強いからです。アルデヒドはタンパク質などの物質と反応し変性させてしまいます。このように基質特異性が高いか低いかは酵素によって違いますが、酵素は一般に化学構造が似ていない物質には作用しません。  生体内には何千種類という酵素がありますが、特異性に応じて基質に結合して、細胞内で多種類の代謝反応を触媒したり、細胞外に分泌されて消化等の機能を果たしたりしています。しかし、酵素が量的質的に不足すれば生体機能の維持に支障が生じる可能性があります。

酵素の加齢変化

 上で説明したように酵素は化学反応の触媒です。原理的には触媒は反応の結果、減ることはありません。ところが、酵素(そしてタンパク質一般)は、前項に書きましたが、活性酸素など色々な要因で変性して活性を失っていきます。体温(熱)という物理的原因でも次第に失活しますから、失活は避けられないのです。構造が変化し失活した酵素は分解されやすくなります(『老化のメカニズム 生体分子に起こる加齢変化 05−異常タンパク質はなぜ増えるのか? 異常タンパク質蓄積の原因:タンパク質代謝回転の低下』を参照)。しかし、加齢とともに失活しやすい状況(例えば活性酸素の発生の増加)が生じる上に、タンパク質分解酵素の働きが衰えるため、活性が低下した酵素や失活した酵素(異常酵素)が次第に増えてきます。表1に幾つかの例を示します。

 酵素が失活した場合、必要であれば、それを補うために新たに合成が起ります。必要がなければ合成は起こりません。こうして生体内の恒常性が保たれているのです。生体の恒常性を保つとは、代謝などの仕組みを生命維持に最適な状態にするということです。“生命維持に最適な状態”は、生涯一定不変のものではありません。赤ちゃんには赤ちゃんの、若者には若者の、高齢者には高齢者の、最適状態があります。失活した酵素を補うかどうかも必要に応じて行われることになります。例えば、高齢期で食事の量が減れば、消化酵素を多く準備する必要性も減って、補わなくても困らないわけです。もっとも、時に食べ過ぎると消化不良でお腹を壊すことになりかねませんが。細胞内のエネルギー(ATP)代謝に関わる酵素についても同様のことが言えます。若者に比べて活動量が低下した高齢者ではエネルギー(ATP)産生の必要性も減少しますから、例えば、ブドウ糖や脂肪を分解する酵素活性が低下します。異常タンパク質が生じても、通常の状態では、残っている正常酵素の働きで不自由はないのです。ですから,加齢で酵素活性が低下するとしても、それは一種の適応現象と考えることが出来ます。生体は必要がないものを沢山作り出すことはしない、限られた資源(食物、エサ)を有効利用する省エネ戦略をとっています。減ったから、これは大変だ、何とかしなくては、と騒ぐ必要は必ずしもないのです。若者の場合、通常使う以上の量の酵素を持っていますから、時に必要性が高まっても問題が起こりにくいのです。こういう余力を予備力といいます。

 最近どうも疲れやすい、エネルギー不足ではないか、歳をとってエネルギーを作るのに必要な酵素が足りなくなったからではないかと考えるのも無理からぬことです。実際、表1に示した異常酵素の例の中にはエネルギー代謝に関わるものが幾つか含まれています(アルドラーゼ、エノラーゼなど)。細胞のエネルギー産生工場といわれるミトコンドリアの機能は多くの酵素やその他のタンパク質に支えられていますが、ミトコンドリア自体が加齢で異常化し活性が低下します。しかし、刺激する(負荷をかける)ことで(例えば運動する)、残っている正常なミトコンドリアが増えて機能を補うこともできるのです。一個の細胞の中には何百個ものミトコンドリアがあり、異常化するのはその一部ですから健常なものが増えればいい。

 では不足した酵素を体外から人為的に補う意義はあるでしょうか。不足したものを体外から補うのは一見合理的のように見えます。

摂取した酵素が体内の組織に到達するには

 口から入った酵素が体内の目的の場所に到達するには幾つものバリアーを越えなくてはなりません。まず、胃酸で満たされた過酷な環境を突破する必要があります。胃の中の酸性度は通常pH1〜2くらいで大抵のタンパク質は変性してしまいます。日常的な食事に含まれているバクテリアの大半が死にます。もっと酸性度の弱い寿司ご飯でも痛みにくかったり、乳酸などの酸が含まれているヨーグルトが変敗しにくかったりするのも同様の理由によります。胃のバリアーは酸性度が高いばかりでなく酸性で働きやすいタンパク質分解酵素(ペプシン)の作用があります。一般に変性したタンパク質は酵素による分解を受けやすく、そのため胃の中で食物の分解が進むことになります。これらのバリアーをくぐり抜けた酵素は腸に到達します。運良く胃を通り抜けてた酵素タンパク質も大半は腸で待ち構えている別の分解酵素(トリプシンなど)で分解されてしまいます。わずかに残る可能性のある酵素も腸から血中に入るには腸管細胞の壁を通り抜け、さらに血管壁を透過しなくてはなりません。これらの壁には高分子の酵素を通すための通路はありませんから、酵素は変則的に血中に取り込まれる可能性があるだけです。しかも、血中から更に最終目的地の組織細胞に取り込まれるには再び血管壁と組織細胞壁を越える必要があります。それで終わりではありません。酵素の中には細胞内の特定の場所で働くものが多く、そこにたどり着かないと役に立ちません。例えばエネルギー産生に関わる多くの酵素がミトコンドリアの中にあります。しかも、ミトコンドリアの膜に結合していたり、膜の内側にあったりします。その上、代謝の恒常性を保つには、多くの酵素が量的質的にバランスよく存在していなくてはなりません。こう考えると、口から取り込んだ酵素が多くのバリアーを乗り越えて目的の組織細胞の特定の場所に到達し、加齢で低下した機能を補う可能性は無限に低いといっていいでしょう。

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 野菜や細菌が持っている酵素には私たちの体内で起こっている反応を促進するものも多くあります。生命維持に必要な生体内化学反応には種を越えて共通なものが多いのです。外から摂取した酵素を体内で使うことが出来れば結構なことですが、上記のようにその可能性は、ほとんどありません。もし低下した機能を補えるほどの量の酵素が生体内に取り込まれるとしたら、不要な酵素まで入ってきて、緻密に調節された細胞の代謝系は大混乱に陥ってしまうでしょう。外来の酵素(やその他のタンパク質)に対する抗体が出来てしまうかもしれません。触媒作用は同じでも生物種が違えば酵素タンパク質全体の構造は一般に異なっているため抗原性を持つからです。

 以上のことからお分かりのように、“不足した”酵素を外から摂取して補おうとしても効き目があるとは考えられません。そもそも加齢で低下した酵素を外から補って機能を回復し若返ったという科学的な研究論文は見たことがありません。

 ではどうすればいいのか。適度な負荷をかけて自分自身に備わっている潜在能力を引き出すよう努めるのが最善の方法でしょう。予備力を高める習慣(適切な食事に加えて散歩や運動などをする)が老化を“遅らせる”のです(残念ながら“防止”することはできませんが)。上にも書きましたが、私たちの身体は必要もないのに予備力を高めるような不経済なことはしないように出来ています。言い換えると、必要があれば予備力は高まるということです。予備力は必要な遺伝子の発現を通じて高まります。

 加齢で遺伝子損傷が増えることを強調する研究者もいますが、程度はごくわずかで遺伝子発現に大きな影響はありません。90歳でも負荷をかけることによって筋肉量が増え機能的にも筋力が高まることが証明されています(拙著『健康に老いる』222-224ページ、図5-2参照)。このことは高齢でも遺伝子損傷は問題ではなく、たとえ若者並みにならなくても、遺伝子に依存した筋肉タンパク質合成能やエネルギー産生を高める能力が維持されていることを示しています。

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