遺伝は親から子へ、あるいは細胞から子孫細胞へ、似たあるいは同一の形質(性質)が引き継がれることです。 形質は遺伝子によって決まります。遺伝子(gene)はヌクレオチドが化学結合でつながって出来ているDNA鎖の中でタンパク質の構造などの情報を担っている部分です。遺伝子のヌクレオチド配列(塩基配列)が遺伝情報であり、それが形質を決めています。遺伝あるいは遺伝子を研究する学問が遺伝学(ジェネティックス、genetics)です。遺伝子が同一である双子(一卵性双生児)あるいは近交系の動物集団の個体ではDNAのヌクレオチド配列は全く同じと考えられます。 したがって形質は同じはずです。双子が傍目にはほとんど区別がつかないのは発現しているタンパク質の質も量も同じで、従って、多くの遺伝子が関わる形質(例えば、身長や体重)もほとんど同じになるからです。
エピジェネティックス(epigenetics)はヌクレオチド配列の変化を伴わないで長期にわたって遺伝子発現に変化をもたらす仕組みを研究する学問あるいはそういう仕組みのことです。 これまで知られている仕組みとしては、DNA塩基のシトシンの修飾(メチル化)、ヒストンの修飾(メチル化・アセチル化・リン酸化)による遺伝子発現の変化があります。ヒストンは塩基性タンパク質でDNAと複合体を作っています。DNAあるいはヒストンの修飾によって長期にわたって遺伝子発現が変化したり、変化した遺伝子発現が分裂によって細胞から細胞へと受け継がれたりします。エピジェネティックスは細胞ががん化する仕組みや発生過程での遺伝子発現調節の仕組みとして研究されてきました。 エピジェネティックスは最近老化研究者の間で注目されています。
一卵性双子同士でも、遺伝的に同一な実験動物の間でも、寿命にかなり大きな違いがあったり、老年病に対する感受性が異なっていたりすることが知られています。それは個体間の遺伝子のヌクレオチド配列の違いでは説明できません。しかし、エピジェネティックな違い(DNAやヒストンの修飾の違い)があれば、その説明になるかもしれません。さらに、老化の仕組みそのものにエピジェネティックスが関係している可能性もあります。
図11−1は3歳と50歳の一卵性双子のDNAメチル化とヒストンアセチル化を比較した論文からの引用です(F. Fraga et al. Epigenetic differences arise during the lifetime of monozygotic twins. Proc Nat Acad Sci 102: 10604-10609, 2005)。3歳では両修飾の違いはほとんどありませんが、50歳では明瞭な違いが見られます。加齢過程で修飾に違いが生じたと考えられます。この違いが高齢になってからの双子間の老年病への罹患しやすさや寿命の違いに関係しているかどうかは、今後の研究によって明らかにされると思います。図11−2は私たちの研究室でヒストンの一種H3のアセチル化とリン酸化の加齢変化を調べた結果です。高齢ではアセチル化は低下し、リン酸化は上昇しています。この変化は加齢による転写活性一般の減少を説明する可能性があります。