
ラッキーが我が家にやって来てから12年目のこと。三代目のパジェロが買い替えの時を迎え、約1ヶ月間、代車になった期間がありました。代車に乗り始めて10日を過ぎた頃からラッキーは段々と元気が無くなり、車に乗りたがらなくなりました。朝の散歩は少し離れた土手までパジェロで行くのが日課でしたが、代車になってからは帰りは素直に乗るものの、行きは嫌がり時間も無いので無理やり乗せる始末でした。半月を過ぎた頃、ラッキーの後頭部に500円玉大のハゲを見つけました。皮膚病かもしれないと思い急いでセキ動物病院へ連れて行きました。診察の結果、円形脱毛症であることがわかりました。セキ先生からは「ラッキーちゃんはうつ病ですね。」と言われました。最近の出来事を尋ねられたので、車がパジェロから代車に変わったことを話すと「きっとそのことが原因ですね。賢い犬はうつ病になることが稀にあります。人間と同じような症状が出る場合もあります。」と教えてくれました。皮膚病ではないので新しいパジェロが来れば治ると思います。薬は不要でしょう。もう少しの辛抱ですね。というセキ先生の言葉に私はほっとしてラッキーと家に帰りました。
その日から私は「あと10日くらい待とうね」、「あと一週間待とうね。」などと何度も何度もラッキーに言い聞かせました。ラッキーが理解したかどうかはわかりませんが、数日の間は仕方なく代車で朝の散歩に出かけました。夕方の散歩の後も、いつもなら車から降りたがらないのに家に着くとすぐにダンボール小屋へ入ってしまうのでした。心配していたある日、ディーラーさんから「意外と早くパジェロが出来たよ。」と連絡があり翌日には新車のパジェロが我が家に到着しました。それを目にしたラッキーは「すぐに乗るんだ!」とばかりにそわそわし始めました。後部座席のドアを開けると指定席に飛び乗り、いつも通りに座ってとても嬉しそうでした。その日は指定席で横になり降りようともしませんでした。翌朝、私が仕事に行く時間には降りるのを嫌がるラッキーを新車パジェロの指定席から抱きかかえて降ろさなくてはなりませんでした。私の帰りを待ちわび、私が帰宅するなり「乗るんだ!!」とばかりにラッキーはパジェロに飛び乗りました。そして3晩続けて車中泊をしたのでした。新車パジェロの到着とともに元気が戻り、円形脱毛症もいつの間にか治っていました。いかにも「このパジェロは私のものよ!」と言わんばかりでした。もしもあの代車のままだったらどうなっていたかわかりません。とにかくホッとしました。その後も、車検や点検などのほんの数日間でも我が家の駐車場にパジェロが無く私が家にいると、ちょっと不安げに道路の方を気にしながら駐車場の真ん中でパジェロの帰りを待っていたのでした。そしてパジェロが帰って来た日は必ずといっていいほど車中泊をするのでした。とにかくパジェロが大好きなラッキーでした。
毎日の散歩の時間が正確な犬の話はよく聞きます。我が家にいた代々の犬たちもそうでした。ラッキーは、それに加えて一週間の時間もわかっているように私は感じていました。休みの日に私が「今日、お山に行く?」とか「今日、学校に行く?」と尋ねると、ラッキーはそれはそれは喜びました。お出かけの日は毎回のように朝の散歩の後に車から降りることなく、出かけるのを指定席で楽しみに待っていました。そして、私が何も言わずにいても私の休みの日がわかるようで、一週間のうちでその日が来ると朝の散歩の後には必ず駄々をこねて車から降りようとしないのでした。なので、休みの日が仕事で休めなくなった時や、他の用事でラッキーを連れて行けないときには、仕方なく抱いて降ろさなくてはなりませんでした。
そういう日は大変でした。車から降ろそうとする私に対しラッキーは「どうしても行くんだい!」と言わんばかりで、「降ろせるものなら降ろしてみな」と座席にへばりつくようにして抵抗しました。「今日は連れて行けないんだよ。ごめんね。」と謝りながら降ろそうとすると「ヒィヒィヒィ」と小さな声を発して嫌がりました。車の外へ出すとやや諦めつつも「本当に行けないの?」と私に目で訴え、催促するのでした。そしてダメだと悟ると仕方なくダンボール小屋へ入って行くのでした。そんな日は、出かける前に「ラッキー、行ってくるね。」と声を掛けても知らん顔。帰宅して挨拶をしてもラッキーは私を無視してご機嫌斜めのままでした。私がしばらく一方的に話かけ続けてやっと反応を示してくれるようになるの もお決まりでした。機嫌を直した後は必ず「どこへ行ってきたんだ。(一緒に行きたかった!)」とばかりに車に乗りたがるので、後部座席のドアを開けてあげます。ラッキーは、まず車内の臭いを嗅いで情報収集を始めます。過去に山行きに同行した人などの臭いに気づくとしばらくの間犬語で「ウウウウウ(友だちとお山に行った?)」と私に話しかけ、指定席で軽く穴掘りのしぐさをするのでした。そのような時は「お山じゃなかったよ、お山の時は一緒に行こうね。」と伝えました。その言葉を聞いてラッキーはしぶしぶといった感じで落ち着いてくるのですが、2~3日は疑いの目で見られるのでした。そして、次の休みの日は朝の散歩の後も車を降りることなく「一緒に行きたい」と指定席で頑張り続けるのでした。とにかく週末になるとテンションが上がるので、私は予定の無い時は雨が降らない限りラッキーと一緒に筑波山や房総の山、河川敷などにパジェロで出かけていました。そのおかげで私は色々な植物や動物、昆虫などを見ることができたのです。ラッキーが見つけてきた変わったものや変なものに私が興味を持ち、夢中になって観察をしたり写真を撮ったりしていてふとラッキーを見ると、ラッキーは「どうだ!」とばかりに胸を張り尻尾を振り、楽しそうにするのでした。
ラッキーが我が家に来て13年目の春。ラッキーといつものようにパジェロに乗って利根川に向かい、朝の散歩で土手を歩きはじめたときのことでした。急に私たちの目の前にウサギが現れました。ラッキーはテンションが上がり、ウサギを追いかけて坂を駆け上りました。坂の頂点に着いた時、突然ラッキーが倒れ痙攣を始めました。それでも「追いかけるんだ!」とばかりに一生懸命足をばたつかせました。私は驚いてラッキーに駆け寄り、抱き上げて車の指定席に横たえました。徐々に落ち着き、ラッキーは「また歩きたい」とせがみましたが、それどころではありません。その日はそれ以上散歩をせず帰りました。この日を境に急にラッキーの体力が落ちたように思います。気にはしていたのですが、顔の毛が急に白くなってきたようでした。以前、セキ先生から「老犬になって倒れて痙攣をするようになると、その先はあまり長くは生きられない。」と聞いていたので、それからはできるだけラッキーの行きたい所に連れて行ってあげようと思い、休みの日はいつも筑波山に行きました。どうしても外せない用事があってパジェロを駐車場に置いておくと、パジェロに乗って出かけるのが大好きなラッキーは「行かないのか」と催促をするほどでした。その日の朝、土手に行き少し歩くと疲れたのか、また痙攣をおこしました。私はすぐにラッキーをパジェロに乗せて帰宅しました。私が仕事から帰るととても喜び、お気に入りのダンボール小屋ではなく、家の中で私の腕枕で寝ました。おしっこがしたいと催促され、抱いて外に出るも間に合わず、申し訳なさそうに私の顔を見上げて「クークー」と言いました。体を拭いてあげるとラッキーはまたは私の腕枕で寝はじめました。夜中に急にラッキーの鼓動が激しくなり痙攣をはじめした。そして間もなくラッキーは私の腕の中で息を引き取りました。目を開いたままだったので瞼を下げ「一緒に居てくれてありがとうね、ラッキー。」と言い、お別れをしました。翌日、火葬にし、いつも一緒に行っていた土手に埋葬しました。
いつの間にか老犬になっていたラッキー。パジェロが好きで、亡くなる日までとにかく乗りたがっていました。
連載「愛犬のラッキー」・完