あれは今から14年ほど前、春の終わり頃でした。利根川の枝流である黒部川で親父とハゼ釣りをしていた時のことです。私は背後から物凄い視線を感じました。振り返ると、なんと、可愛らしいワンちゃんがこちらを凝視していました。その仔犬が、のちに川上家の主、ラッキーになるメスのミックス犬でした。
仔犬がいたのは利根川と黒部川の間に在る公園で、周りに人家は無く、大きな水門と土手と広い河川敷がある自然あふれた場所でした。周りには30匹ほどの野犬集団がいたので、仔犬はその中で生活をしているように思われました。最初にその仔犬に会った時にはどこかの飼い犬かと思いました。散歩で土手まで来て放され、近くに飼い主さんが居ると勝手に決めつけていたのです。仔犬は眼光が鋭いもののとても可愛らしいワンちゃんで、一見するとハスキー犬に見えるほどハスキー色の強いミックス犬でした。仔犬の目の色はブラウンでしたが、左目の下半分はホワイトブルー。瞳の色が違い、白内障を患っているかのように見えました。ハゼ釣りにその場所を訪れるたびに会うようになり、何回目かで野良犬とわかりました。
ある時、仔犬が何か食べ物をほしがっている様子だったので、私の弁当を半分ほどあげました。とても喜び、その一部を得意げに咥えて胸を張りどこかへ持ち去りました。またある時は親父の所へ行って弁当の残りや釣れた魚などをもらい、やはり一部を貯食をしているようでした。当時の黒部川ではハゼがそこそこ釣れたこともあって、私は雨天でなければハゼ釣りに行き、週一の頻度で仔犬と会っていました。
会うたびに体が大きく育っていったように思います。そのうち毎回何か食べ物の土産をあげては仔犬の体をなでるようになりました。その時になって初めて、仔犬が群れの中でいじめられていることがわかりました。よく観察をしてみると、他の犬たちが仔犬に向かって唸ったり、噛み付いたりしてからかったり、いじめたりしているように見えました。その中でたった1匹、仔犬をかばってくれる茶色いメスの成犬がいました。私が仔犬に食べ物をあげると、仔犬はまずその茶犬に食べ物を持っていくようだったので、その行動を見てからは、私は菓子パンを複数個とソーセージ、牛乳を持って行くようにしました。
野犬たちは散歩に来た人たちから食べ物をもらったり、その公園で何かを食べている人の所へ行っては食べ物をもらったりしているようでした。仔犬と茶犬よりも先に他の成犬たちに菓子パンを与えると銘々に自分の場所へ持って行って食べるように見えたので、私はまず彼らに菓子パンを与え、その場所から散るのを待って仔犬と茶犬にゆっくりと食べ物をあげました。この仔犬は茶犬が居なかったら生きて行けなかったかもしれません。仔犬だけが残った後に食べ物をあげると、ある程度食べて、残りを何ヶ所かに穴を掘って貯食していました。当時、私は色々な食べ物をあげていたのですが、本能でわかるのか仔犬は腐りやすいものはその場で食べて日持ちしそうなものは貯食にまわしているようでした。
私が仔犬とだんだんと仲良くなってきたある日、仔犬が妙な行動をしました。私がハゼを釣り上げた時に「そのハゼをちょうだい」と言わんばかりに、私とハゼを交互に見るのです。釣り上げたばかりのハゼを差し出すと、仔犬は軽く咥えて私の前に置き、お座りをして私の様子を伺うように見上げました。「食べていいよ」と言うと、なんとバケツの中の釣り貯めたハゼも咥えて取り出し、向きを揃えて一列に4匹も並べました。何かを話しかけるかのようにもう一度私を見上げて尻尾を振り、上機嫌な様子でした。後に我が家に来てからも何度かこのようなことがありました。
その日を境に仔犬は釣った魚を欲しがるようになりました。あげると魚の頭だけを食べて残りは貯食へ。また、魚を一列に並べて満足げにこちらを見ては上機嫌に。その時は一生懸命に何か口の中で「アニャアニャアニャニャ…」と言うのが習慣になっていました。釣り場に仔犬の姿が見えない時でも、釣りをしていると急に凄い視線を感じることがありました。振り返ると仔犬が土手の上からこちらを見ているのです。「おい」と声を掛けると駆け寄って来てまた犬語をしゃべりだしました。
秋の終わりの頃には仔犬は成犬並の大きさに育ち、仲間3匹くらいとよく一緒に居るのを見るようになりました。大きくなるにつれて傷が絶えなくなり、体には何ヶ所も噛まれた跡が残りました。ある時、首の後ろに咬まれて化膿している傷をみつけました。ハゼ釣りシーズンも終わりの11月頃にはかさぶたが取れましたが、その傷からは背骨が見えていました。このままではまずいと思い、私は消毒のため焼酎を買ってきて口に含み、仔犬の傷にぶっ掛けました。かなり染みたのでしょう。仔犬は凄い勢いで「キャンキャンキャン」と鳴き叫びながら去って行ってしまいました。
(つづく)s