BioLTop 東邦大学生物多様性学習プログラム
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第1章 爬虫類との出会い

その4 中庭のトカゲ

 私は、ニホントカゲを観察することに決めた。小学生の時に深くつき合ったカナヘビではない。カナヘビの生態は情報交換会で知り合った東京教育大学の大学院生、竹中践氏の研究テーマだったからである。高校生が大学院生と研究テーマを張り合う、と言うのも生意気な話しだ。だが、オリジナリティーへのこだわりは、高校生にだってある。同じことをやったのでは、話すネタにならないし、第一かなうわけがない。それとニホントカゲについては気になっていたことがあったのだ。青い尻尾をしたトカゲの正体のことである。尻尾の青いトカゲが成体になると茶色く変身するニホントカゲの幼体であることはわかっていた。しかし、体の色がいつ頃どのように変化するのか、それがわからなかった。
 高校2年も終わりに近づいた3月、そろそろ受験勉強が気になり始める頃、私は通っていた高校の校庭でニホントカゲ(以下トカゲと省略)をさがした。トカゲは、中庭のテニスコートのわきの花壇にいた。中庭には私が子供のころ見たのと同じ、小さくてしっぽの青いトカゲと大きく茶色いトカゲがいる。そこで、こうしたという。

「まず、中庭のトカゲを全部つかまえよう。そして、一匹づつ区別して、大きさ、体重、体と尻尾の模様と色、オスとメスを記録し、つかまえた場所にもどしてやるのだ。これを繰り返していけば、青いしっぽのトカゲが子供と大人の違いなのか、オスとメスの違いなのか、わかるはずだ」。
本に書いてあることでも、一応自分で確かめる、私はそう意気込んでいた。

 高校3年になってすぐ、昼休みはトカゲの調査時間になった。弁当を5分で食べ終え、3階の教室から階段を駆け下りて中庭へと急ぐ。校長室のそばにはいつも大きなトカゲがいた。捕まえたいから、そこを避けては通れない。校長先生は落とし物でもしたのかと、窓から身をのりだして聞いてきたが、あいまいな返事をしてトカゲをさがし続けた。トカゲを一匹づつ袋に入れ、捕獲場所を地図に記入する。トカゲを探す時間は30分とない。5時間目の始業をつげるチャイムを気にしながら、生物実験室へ行き、つかまえたトカゲを置いてくる。放課後、トカゲの身体測定をするためだ。測って記録する項目は、頭から尾の付け根までの長さ(頭胴長)と尾の長さ(尾長)、体重、体の色、その他気付いたこと全てである。1匹1匹を区別するために指を切った。ハサミで指切るときトカゲはびくっと体をふるわせた。痛いだろうな、そうすれば一度放して次につかまえた時にもわかるはずだ。こうして動物の体の一部を切り取ったりして個体を区別することをマーキングと言っている。犬が尿をかけて歩くこともマーキングと言い、ナワバリ宣言の1種とされているが、捕まえたトカゲをマーキングするのは、この場所のトカゲは自分が調査しているのだという、1種のナワバリ宣言のようなものでもある。
 4月下旬までに、私がマーキングしたトカゲは全部で18匹になった。小さくて、しっぽが青くて、背中に5本の白いたてじまがあるのが10匹。大きくて全身茶色、体のわきに黒い帯があって、頭が角張っていて、のどが赤いのが8匹だ。この8匹は尾の根元を指で押すと1対のペニスを出した。全ておとなのオスとわかる。5月におなかの大きなトカゲをつかまえて飼っていたら6月に卵を産んだ。卵の数は8個。カナヘビの産卵数の倍もある。卵の殻は固くない、カナヘビの卵よりもさらに弾力があってぷよぷよしている。つまり、この少し縦縞の残った大きなトカゲはおとなのメスということになる。夏になった。しっぽの青かったトカゲは成長して、色も形も変わってきた。しっぽはもう青くない。白い縦縞はかすんで、背中の地色が黒から茶色へと変わりつつある。そう、おとなのトカゲに変身しようとしているのだ。そして中庭に、もっとあざやかな青いしっぽの小さなトカゲが現れた。飼っていた卵も孵化した。赤ちゃんトカゲの誕生だ。

 次の年の春、大学受験にはすべて失敗した。けれども、私には大きな楽しみがあった。高校へ行き冬眠からさめた中庭のトカゲたちに会うことだ。前の年と同じように、小さくてしっぽの青いトカゲと茶色の大きなトカゲが同じくらいの数がいる。でも、私にはもう正体がわかっている。小さくてしっぽの青いのは、前の年の8月に生まれた1歳のトカゲ。茶色のは、2歳以上のおとなのトカゲである。おとなのメスは、オスよりもからだのもようが子供っぽい。少し、縦縞のなごりがあるし、頭の形もオスのように角張っていない。とにかく、これで1つの問題が解決した。
 このトカゲ研究がもたらしたのは、大学受験の失敗と1年間の浪人生活であったが、得たものも多かった。なによりも、この観察の経過を木曜日の情報交換会で自発的にしゃべる機会をもてた。そして、ほぼ同じ時期に神奈川の荏田という谷津田でカエルの生活史をテーマとする卒業・修士研究を始めていた先輩たちとマーキングしたトカゲやカエルを追跡して得られる情報の豊かさについて議論をかわした。そのうえ、通っていた高校の生物教諭、畠山、小滝両先生の勧めでトカゲ観察レポートを書き始めた。毎晩受験勉強そっちのけで書き上げた原稿を翌朝生物研究室へ持っていき、放課後になると、2人の先生の指導と添削を受け、「ニホントカゲ個体群の観察」という論文を完成させた。この論文は読売新聞が主催する日本学生科学賞の審査に出された。予想もしなかった総理大臣賞を獲得した。翌年の5月には、アメリカ合衆国のデンバーで開かれた審査会へ出場するおまけまでついた。
 さらに、もう1つ得たことと言えば、スポーツで優勝するのも、研究で面白いことを見つけるのも、同じように自己の気持ちを鼓舞するものだ、ということだった。軟式テニスと爬虫類に熱中していたため、そうでなくとも学力に不安のあった私の成績は最悪で、担任からは大学進学は無理と脅されていた。ところが、幸運にもトカゲの観察で賞をもらったことが注目を集め、それまで話したことの無い先生からも声を掛けられるにいたり、私は気分を良くした。なんとかガンバって大学に入ろうという気持ちになったのだから、単純なものだ。少々無理して入学した進学校で、ドロップアウトしかけた私が曲がりなりにも楽しい気持ちで卒業できたのは、トカゲのおかげに違いない。卵のエロスでトカゲに目覚め、研究のロゴスを自覚し、自己を表現するパトスを身につけたのである。


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