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第1章 爬虫類との出会い

その3 情報交換会

 趣味の飼育と繁殖が研究色を帯びるにあたっては1つの本、そして同好の先輩たちとの出会いがあった。中学に入ってからは飼育熱が少し醒め、動物に関する本を読むようになり、東京都文京区の根津にある高田爬虫類研究所の存在を知った。高田氏は、夏休みになると東京のデパートの催し物会場で行われる世界の爬虫類展などをプロモートし、子供向けの爬虫類の本を執筆していた。その人が自宅を改造してたくさんの爬虫類を飼育しているというのである。私がその情報を手に入れたのは、昭和44年7月発行の子供の科学別冊『小動物の飼い方』からである。

 木枯らしが吹き始めた頃、上野の不忍の池のほとりの水族館にある爬虫類館の見学とセットで高田さんの家を訪問した。高田さんは留守であったが、飼育の仕事をしているお兄さんの案内でウオータードラゴン、アンボイナホカケトカゲ、イグアナ、インドニシキヘビなど沢山の大型爬虫類を見せてもらうことができた。外は息が白くなるほどの寒さだったが、温室の中は汗ばむほどの温度と湿度。ここまで本格的な施設でないと爬虫類の飼育は無理なのか、私は嘆息した。私の飼育は、春になってから捕まえたカナヘビやヤマカガシを秋まで飼育して、冬になる前にもとの場所に逃がすという季節的なものだったからだ。秋から春までは普段見られない外国産の爬虫類に会いに上野の水族館へ通っていた。
 高田研究所の訪問から数日して、1通の手紙が届いた。差出人は千石正一という名の大学生だ。今度、爬虫両生類情報交換会という、サークルのようなものをつくるので、仲間に入らないかという勧誘である。青焼きコピーの文面の最後には直筆で「長谷川君はトカゲに興味があるようだけれど、一緒に爬虫類のことをやろう」と書かれてあった。思い当たる節を探すと、唯一のつながりは、高田研究所見学の最後に見学者名簿に名前と住所、そして今興味を持っていることについて、記入してきたことだった。さらに手紙には、もし興味があるようなら、正月明けの1月上旬に上野動物園の水族館で会合を開くから来るように、とあった。貴重な情報である。私は中学3年で高校受験の直前だったけれども、さっそく出かけ、千石氏たちと出会った。みんな年上である。私は五分刈りの坊主頭に詰め襟の学生服姿だった。

 情報交換会の会合は最初の頃、毎週木曜日にお茶の水の駅前、丘という名前の地下1階にある喫茶店で開かれていた。欠かさず通った。どうやって入手したのかわからなかったが、外国の爬虫類の本(写真がたくさん載っている)や生きた爬虫類、その餌になるマウスやコオロギが取り引されていた。私は、ただおとなしくその様子を眺めていた。地下の薄暗い灯りの下、外国の音楽が響く中、聞き慣れない言葉が交わされていた。南米のボアの幼体を何匹も布袋に入れて持ってきては、袋のひもを解いて中から取り出して、この虹色の輝くやつがコロンビアツリーボア、こっちの袋のがボアコンストリクターなどとやっている。ツリーボアは、気が荒いから気を付けたほうがよい、という。コンストリクターは「絞める奴」という意味で、実際袋から取り出されたヘビは腕に固く巻き付いていた。私は、店の人に見つからないのかとはらはらして見ているが、もっと近くで見たいとか触ってみたいという誘惑には抗しがたいものがあった。毎週木曜日が待ちどおしく、かといって、自分から積極的に話題を出すということもなかった。何か口出ししたくても、自分が知っていることなどだれも耳をかしてくれやしないだろう。それに、ここに集まる人たちならばみんな知っていることに違いない。「長谷川君いつも、おとなしいね」なんて慰められても、「いえ十分楽しいです」というのが精一杯だったのだ。木曜日の夜7時から始まる地下の情報交換会には、刺激に満ちた世界があった。

 参加するだけで十分楽しく、刺激的だった交換会の会話に私が参加できるようになったきっかけは、千石氏が一冊余分に買ってしまったという本を購入したことだった。価格は2300円だった。本のタイトルは「Rusty Lizard」という。テキサス大学のフランク・ブレアー教授が自宅の庭に生息していたトカゲの生態を5年間にわたって詳細に調査した成果をまとめた本である。後に、爬虫類の野外生態学の古典的著作であると知る。
 当時、交換会の会話内容は、飼育に関する技術的なことも多かったが、中心メンバーには生物学や農学部の大学院生、これから卒業研究に取りかからんとする大学生が多くいた。研究についての話、爬虫類の進化についての自説を開陳するなど、教科書には書かれていない生の議論を聞くことができたという。研究っておもしろそうだな、いつとはなしに、私はそういう気持ちになっていった。なにしろ、自分が見つけたことならば、年齢に関係なく話し相手になってもらえるのだし、立場は対等なのだ。千石氏は議論をリードもしたけれど、納得のいかない説については結構過激に攻撃していた、という。こういう雰囲気に毎週つかっていると、誰だってだんだんと、うずうずしてくるはずだ。「俺も話したい」というように。私は、手に入れた英語の本をとにかく読んで見ることにした。話す内容を見つけるきっかけになれば、と思ってのことだった。
 英語は苦手の教科であった。したがって、ほとんど辞書と首っ引きで最初の頁から読んでいく。トカゲの捕まえ方、一匹一匹を区別する個体識別の方法、いつ頃孵化して、何年で親になるのか、孵化した場所からどのような経路で移動し、ナワバリを構えるのか、等々。トカゲの日常生活や一生について、書かれた本である。ブレアー博士の専門は両生類や爬虫類の種分化、種の独自性を保つ生殖隔離のしくみなどである。しかし、この本には博士の奥さんが言った「このトカゲたちいったい何してるのかしら」という言葉に触発されて行われた素朴な、しかし丹念な観察の成果が語られていた。
 「これなら、俺にもできる。だれも知らないトカゲの日常生活を解きあかし、それを話したら、交換会の先輩たちもきっと耳を傾けてくれるに違いない」、私の中にこんな気持ちが湧いてきた。野外で生活するトカゲの生態を研究するという目的が次第に形を整えていった。ロゴスへの目覚め、である。


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