BioLTop 東邦大学生物多様性学習プログラム
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第1章 爬虫類との出会い

その2 ピンクの卵

 動物を飼育していると、子供たちよりも早成熟なペットが生殖行動を行う場面にしばしば出くわす。その動物が昆虫の場合、例えばカブトムシならば、いずれ自分も同じ様な生殖行動をするようになるのだ、ということは微塵も感じない。むしろ、図鑑や学習雑誌で覚えたばかりの「交尾」という言葉を連発し、何故か周囲の大人たちの困ったような表情を誘発させるものだ。少年たちの性の目覚めは、スイカの上で汁を吸うメスの上に乗ってなんとかペニスを挿入しようともがく雄のカブトムシの姿なんかで触発されることはない。『ちんちん』と『ペニス』は別ものだった。
 カブトムシを取りに出かけていった雑木林で、林の入り口付近に何故かよくうち捨てられ、雨で頁と頁がくっついてしまったような成人雑誌に引き寄せられた時に、雄であることを自覚するのだ。慎重にめくってみても、見えないものは見えないはずなのに、なぜか虫取りを忘れてめくり、その内に変な気分になったことを、よく憶えている。同じ様な意味で、昆虫のメスが卵を産んでも、私はそれを自分とは遠い世界の生き物のことであると感じていた。そうでなければ昆虫採集でやたらと殺して標本にしたりは出来ないはずだ。私がカナヘビを飼育し始め、餌の供給が順調となっても、カナヘビは自己とは遠い存在であり続けた。それが大きく転換したのは、カナヘビが産んだ卵を飼育容器の中に発見した時であった。
 一番の驚きはその卵の大きさであった。昆虫の卵、たとえはアゲハチョウやモンシロチョウの卵は幼稚園の時から知っていたし、アカガエルの卵も近所の水田で見ていた。鶏の卵はもちろんである。にもかかわらず、小学生の私が、はじめてみたカナヘビの卵に魅了されたのは、カナヘビの胴体と同じぐらいの太さの桃色っぽい白色の卵が4個も産まれてあったからだ。これが、カナヘビのおなかから出てきたものなのか、という感激なのである。卵といっても小さければ、それがいくらたくさんあっても、印象に残っていなかっただろう。ハサミムシのメスは体の大きさに対する量という意味で沢山の卵を産み、しかも子育てまでする。しかし、虫という以上の感情は湧かない。
 「このときの感情をうまく表現する言葉を未だに見つけられないが、あえて言えば「茶色いがさがさとした鱗に包まれたカナヘビの体内から、見事な楕円形のピンク色の卵が出てきた、という驚きのようなもの」、だろうか。ともかく、これがきっかけで、私の中でのカナヘビは、夢見た怪獣の代理品でもなく、機械仕掛けのおもちゃのような昆虫でもなく、生身の生き物、という独自の地位を占めるにいたったのだ。

 飼育最初の卵は全て乾燥し、孵化させることに失敗した。胚が成長するために、産卵後に外界の水分を吸収しなければならない。ということは、乾燥させれば胚が死んでしまうことを意味する。このことを知らなかった私は、飼育容器から取り出した卵を牛乳瓶に入れてさっそく学校に持っていき、同級生に見せびらかしたのだった。最初にさわった時、卵には張りがあって弾力もあったが、学校に持っていった頃には真ん中辺がくぼみはじめ、心持ち小さくなって固くなっていた。 「これ、さわるとぶよぶよして気持ちわるいよ」、なんて言って同級生の女の子に触らせてみたりしても、「ぜんぜん違う」と一蹴されてしまう始末である。結局、日が経つにつれ、卵はどんどんとしなびて固くなり、とうとうカラカラにひからびてしまった。これが、小学3年生の時のことだった。

 爬虫類、特にトカゲとヘビの卵というのはさわってみると弾力がある。鳥の卵のように堅くない。飼育容器の中から指で摘んで卵を取り出してみて、その危うい弾力を指の腹に感じた。さわっちゃいけない、ちょっとでも指先に力をいれるとつぶれて死んでしまうのじゃないか、という気持ちにさせる危うい弾力である。カナヘビの卵がこのような弾力をもった殻でしか包まれていないのは、卵の黄身と白身の比率が鳥の卵とは違うからである。鳥の卵には、将来ヒナに育つ胚が黄身(卵黄)の上に乗っていて、白身(卵白)に包まれている。卵白の中に胚をのせた卵黄が漂っていると見ることもできる。だから、卵を動かしても黄身の上に乗っている胚は卵の中で回転して、常に上を向いている。胚の成長に必要な栄養分と水分は固い卵殻の内部に調達されている。固い殻は胚の呼吸を保証しても、中の水分は失わないように出来ている。
 カナヘビの卵には子供の成長に必要な養分は十分用意されているが、必要な水分が十分に用意されているわけではない。水分は卵が産まれてから土中から取り込まれるのである。卵の中の胚が順調に育っていくと、トカゲの卵は水をすってどんどんと大きくなっていく。卵が大きくなれるのは、卵の殻が繊維質の皮革のような構造をしていて、大きくなった分だけ殻が伸びることができるからである。弾力のある爬虫類の卵というのは、産卵後に外から水を取り入れるという生理と結びついた構造なのである。こういうことは、すべて後で知ったことであるが、弾力のあるカナヘビの卵がちゃんと孵化するまでだんだんと大きくなること、そして乾燥に弱いということは小学校時代の飼育経験から学んでいた。
 翌年の春、私の目標はカナヘビの卵を乾燥させずに孵化させることに絞られた。改良点は卵を産まれてあった位置から動かさず、十分土を湿らせることである。孵化するまで動かしてはいけないのだ。このときの飼育容器は、ガラス製で四本の金属の支柱で支えられた古典的な金魚鉢だった。卵の入った金魚鉢を庭の日陰に置き、雨が入らないようにしておいて、土の色を毎日チェックした。いつも黒っぽくなっているように、時々水を注した。そして、学校から帰ると今か今かと毎日金魚鉢をのぞいた。そして1カ月は過ぎた。水を入れすぎて土が湿りすぎていたのであろうか、何個かあった卵の内、ちゃんと張りのある楕円形をとどめていたのは1個だけとなり、残りは腐ってしまった。待ちきれなくなった私は、とうとう最後の1つの卵を取り出し、殻を指でむしってしまった。中には今にも孵化しそうなカナヘビの子供がいた。泣くに泣けない自責の念に押しつぶされそうだった。
 次の年、5年生となった私の目標は土の湿り具合を丁度良く保ち、そして孵化まで辛抱づよく待つことだった。1カ月では孵化しないことは、前の年に学んだ。2カ月は待とうと決めた。結果は上出来だった。6月上旬に産卵された卵は8月のはじめ頃、何個だったか忘れらしいが、全て孵化したのだった。


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