後藤先生の徒然日記

浦島太郎と火星人 (2008年6月21日)

 例年5月から6月にかけて生物学・医学関連の老化・老年学会が相次いで開催される。 今年は韓国とアメリカでは日本の基礎老化学会に相当する老年学会が大邱(テグ)とコロラド州ボルダー(American Aging Association, AGE)で、日本基礎老化学会が松本で、日本老年医学会が幕張で、開かれた。 東邦大学名誉学長(国立がんセンター名誉総長)の杉村隆先生は、お若いころ、しかるべき立場になると研究そっちのけで学会や会議を飛び回る"ライゼ・オンケル"(ドイツ語で"旅行おじさん") になる人が多いが、自分はそうはなるまいと箱根を越える旅行は年一度と決めていたと書いていらっしゃる(杉村隆『がんよ驕るなかれ』(岩波現代文庫)p.62)。 委員会に出るのを名誉と思ったり、他人の研究が気になるようでは独創的なことは出来ないという戒めを込めていらしたと思うが、凡人はいい年になっても学会で話を聞いて感心して帰ってくるばかりである。

 第31回日本基礎老化学会の行われた松本は北アルプス登山の基地でもある。 丁度いい機会だと当地在住の大学の級友で山行の師匠Ku君と久々に山歩きを楽しもうと思ったが、忙しい彼の都合で取りやめになり実現しなかった。 代わりにランチョンセミナーですばらしい講演をされた大阪市大の井上正康教授夫妻らと4時起きしてタクシーで美ヶ原にのぼり、朝靄に煙る松本平の向こうの朝日に照らされた残雪の北アルプス連峰の眺めを楽しんだ。 梅雨の合間のラッキーな快晴だった。その昔35キロのキスリングを背負ってあえぎながら辿った稜線へ、しばし想いを馳せた。

 学会では信州大学大学院医学研究科の能勢 博教授の特別講演『予防医療と健康スポーツ:「信州モデル」を核にした長寿健康学の創造』が印象的だった。 先生は10年以上にわたって松本市熟年体育大学でエクササイズによる松本市民の健康教育を実践してこられ、その集大成の話をした。 先生の開発になる特殊な万歩計「熟大メイト」を使って歩行速度をモニターしながら(あらかじめ測定しておいた自分の最大能力に応じて)、速歩と緩歩を交互に繰り返す方式で、結果を大学とリンクしている地域の薬局のコンピュータに登録して健康指導に役立てている。 参加者の心身の健康祖増進や医療費削減に成果を挙げているとのことである。能勢先生の「インターバル速歩法」は運動生理学的にみて合理的で漫然と一万歩歩くのとは一味違う。 ちなみに先生は信州大学常念岳診療所の責任者も務める山男である。

 第50回日本老年医学会学術集会でも、福岡大学スポーツ科学部の田中正暁教授が『高齢者とスポーツ』と題して特別講演をされた。 先生は血中の乳酸値がある閾値(乳酸閾値※)を越えない強さ(やや苦しい程度)の運動「ニコニコペース運動」を提唱して、福岡市民の健康教育に携わってこられた。 田中方式も能勢方式も個人の体力に応じて負荷を与えて健康増進を図るという点で似ている。田中先生は余談に"オハコ"の浦島太郎が3年間の竜宮城生活のあと故郷に戻ってきて何故急に老け込んだかという話をした。 水中ではカメの背中に乗っている楽をしている上に浮力があるので筋肉を使う必要がなく、タイやヒラメの舞い踊りを眺めながらの美食の毎日では筋萎縮を起こすのも無理はない。地上に戻って玉手箱を開けた途端、それがあらわになった。 皆さん身体を動かしましょう、という訳だ。 田中先生も日常運動の実践家で現役のマラソンランナーだそうである。

 筋萎縮はヒトだけでなくネズミでもハエでも線虫でも起こる普遍性の高い加齢変化だ。 昔から"人は血管から老いる"というけれど、僕は"筋肉から老いる"と思っている。 確かに血管の老化は心疾患や脳卒中といった三大死因の原因疾患として重要である。 それに対して加齢性筋萎縮(サルコペニア)は直接死因にはならないが、QOL(生活の質)を大いに損なう。 しかしライフスタイルで抑えられる。浦島太郎で思い出すのは宇宙飛行士だ。 無重力で一週間も生活すれば年齢に関わらず骨が脆くなり骨格筋が萎えてしまうことはよく知られている(参考:ヴァーニカス『宇宙飛行士は早く老ける?』(朝日新聞社))。 僕の子供の頃の火星人の想像図は細い手足に大きな頭がくっ付いているタコみたいな生き物だった。 重力が少ない火星で暮らす彼らの筋肉が貧弱であるという想定は"科学的"だ。

春から高齢者医療保険制度の問題が世論をにぎわせている。 図らずも高齢医療に関わる二学会の特別講演でスポーツを通じた健康つくりが取り上げられた。 年を取れば体力が低下して病気がちになるのは避けられない。それを少しでも遅らせるのは適切な食事と活動的ライフスタイルである。 人様のお世話になる前に、そのことを再認識し、無理にでも身体を動かす生活をしたい。
No pain, no gain!! ( 環境とライフスタイルの影響 生活環境と老化

※乳酸閾値:生き物のエネルギー(ATP) の基本はグルコース(ブドウ糖)である。 血糖値が下がれば力がでない。さらに低下すれば命にかかわる。 通常はATPを作る過程で代謝されて二酸化炭素と水になるグルコースも酸素不足になると途中で乳酸になってしまいエネルギー産生効率が下がる。 運動強度を上げてゆくと息が荒くなるのは筋肉が必要とする酸素の供給が不十分な証拠だ。そうなると血中乳酸濃度が急に高まる。 この急な変化がおこる濃度領域を乳酸閾値という。この値は人によって異なる。 運動不足の人では低く、よく鍛えられた人では高い。 トレーニングによって高くなる(持久力がつく)。

 

 

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