ある年の初夏、私は写真好きの知人のDさんと一緒に筑波山にミソサザイの写真を撮りに行った。ミソサザイは山地の沢沿いで、岩や藪のある林に生息する体長10cmほどの小型の鳥だ。全身が茶色く、それが保護色になっているため、じっとしているとなかなか見つけることができない。だが、あの小さな体に似合わない大きな囀りをするので、いることがわかる。沢でミソサザイの囀りが聞こえてきたので、少し高いところに登って姿を探した。いた!
Dさんがミソサザイを撮り始めた。その様子を見ていると、沢の奥で動く動物がいた。テンだ。いつもこの辺りで会うテンくん(命名:私)だ。ここで私が声を出してしまったら、Dさんが撮影中のミソサザイが逃げてしまうので、私はそっとDさんの後ろに立った。するとテンくんも大きな石の上に立った。私は彼に向かって黙って大きく手招きをした。きっと彼は「いつも声をかけてくるのに、おかしいな。」とでも思ったのだろう。ピョコッと耳を動かした。私は心の中で「来てくれ」と念じながら、もう一度大きく手招きをした。それが伝わったのか、彼は私たちから6mくらいの所にある石の上までやって来て止まり、私たちを見た。それに気づいたDさんがテンくんに向かってシャッターを切った。私もすぐにビデオカメラを回す。最初は彼にピントが合わず、映像が乱れた。もう一度手招いてみると私たちの足元まで来てくれた。私は小さく「こんちは。また会ったね。」と声をかけた。テンくんは立ち上がり、私たちを見上げた。「来てくれてありがとうね。」と言うと、テンくんは「クク」と鳴いて林の中へ帰っていった。
今回はDさんが一緒に居たので、まさか近くまで来てくれるとは思いもしなかった。なんとDさんは、テンくんが足元まで来てくれたことを知らなかったそうで、動画を見せると、テンくんが真っすぐに私たちの足元まで来てくれたことに「すごいことだ!」と驚いていた。
テンくんは私を見つけると道沿いの藪の中を一緒に歩いてくれることがある。藪をごそごそさせながら、たまに姿を見せてくれるのだ。私に何か伝えたいのだろうか。そんなことが何度かあった。実は、筑波山には同じ様なことをするアナグマもいるので、私は時間ができると彼らに会いに、つい筑波山へ行ってしまう。何度かテンくんやアナグマの動画撮影にチャレンジしたが、どれもほんの一瞬しか映っていないのでいつも消してしまっている。いつかそのうちちゃんと撮れるだろうと思っている。
そういえば、私が野生のテンに初めて会ったのは18歳の頃だ。場所は北八ヶ岳の黒百合ヒュッテという山小屋のあたりである。某テレビ局の“自然のアルバム”という番組で、黒百合ヒュッテで撮影されたというテンの映像を見た私は、どうしても実物のテンに会いたくなり、山小屋に電話をかけて写真を撮りたいと相談した。山小屋の親父さんは、「正月過ぎに来客が減って人の気配が無くなるとテンが現れる。」と親切に教えてくれた。教えてもらった通り、正月過ぎに山小屋に泊り、その時は1週間粘ってやっと3枚の写真が撮れた。シャッターチャンスはもう何度かあったのだが、つい見とれてしまいシャッターをなかなか押せなかったのだ。八ヶ岳で出会ったそのテンは、小屋の親父さん曰く‘キテン’という、冬に体毛が黄色になるテンだそうだ。日差しを受けて毛先が金色に光り、何とも言えない素晴らしい輝きだった。
山小屋の親父さんとは気が合い、その後10年ほど通って何匹かのキテンに会い、満足の行く写真を何枚か撮ることができた。その頃に撮った写真は残念なことにフィルム焼けを起こしてしまい全て処分してしまった。黒百合ヒュッテに通った10年の間に、テンを初めとしてタヌキやイタチ、アナグマなど他の動物たちとも会えたことを小屋の親父さんに感謝している。
さらに、黒百合ヒュッテでは思い出深い出来事があった。私が小屋の布団を引っ張り出したときにヤマネが転げ落ちてきたのだが、なんと彼は冬眠していたのだ。初めて会うヤマネ。私がそっと手のひらに乗せるともそもそと動き出した。完全に目を覚ます前に布団の中にそっと戻して小屋の親父さんに伝えた。
(テン/イタチ科 2022年3月.記)