1980年頃にキャンパスにタヌキの貯め糞場が3ヶ所みつかった。その後からキャンパス内でタヌキを見かけるようになった。声を掛けたり、飲み水を置いてみたりしているうちに顔見知りになった。そのタヌキはメスであることがわかったので私は彼女をポンと名付けた。声を掛け続けるうちに、「ポン」と呼ぶと来てくれるようになった。彼女は毎朝5時頃、私が薬草園で植物に水をかけているとやって来て小さな声で「キャンキャン」と挨拶し、来たことを教えてくれた。そんな日が続き、翌年には、なんとこども3匹を連れて来た。「私のこどもたちだよと」紹介してくれているようだった。仔タヌキたちは私に対して全く警戒心が無く、とてもフレンドリー。私はポンとこどもたちに毎日のように夜明け頃に会い、挨拶をかわし続けた。私は仔タヌキにも名前を付けた。メスがポンコ。オスの兄さんがポンタで弟がポンキチである。
仔タヌキたちは4ヶ月も経つと母親と同じぐらいの大きさになり、立派になった。この間に仔タヌキたちの父親とは一度も会うことは無く、ポンと知り会ってから2年目にやっと連れてきてくれた。オスの方が警戒心が強いのだろうか?
あるとき、ポンタが私を呼びに来た。いつもと違って様子がおかしい。後をついていくと下半身の皮膚がずる剥けになったポンキチの姿があった。すでに息絶えていた。おそらく交通事故に会ったのだろう。触るとまだ温かかった。ポンキチは事故後に瀕死の状態で私に会いに来ようとして、その途中で息絶えたようだった。何時も会っている場所から20mほど離れた場所だった。ポンタが教えてくれなければきっと気づけなかっただろう。ポンタには「ポンキチ死んだから埋めるね」と言って、彼の見ている前でオオムラサキツツジの根元にポンキチを埋葬した。埋葬している時、「クンクン」と鳴く小さな声が聞こえた。ポンタはポンキチが亡くなったことがわかっているようだった。しばらくの間ポンタはポンキチを埋葬した場所に来て私に挨拶をしてくれた。「ポンタ。死んじゃったね…」と言うとポンタは「クンクン」と返事をした。他のタヌキのことはわからないが、この兄弟がすごく仲が良かったことを私はよく知っている。
それから約1年後、突然ポンタは訪ねて来なくなった。ポンコだけが来てまた私を誘うので、イヤな予感がした。行くとポンタが亡くなっていた。ポンキチの墓のすぐ近くだった。亡くなって数日が経っていたようだった。外傷は無く、おそらく毒でも食べてしまったのか…残念である。ポンキチの横にポンタを埋葬した。彼らが亡くなってから、ポンとポンコは私の前に姿を現すことは無くなった。だが貯め糞場に新しい糞があるので元気でいるのだろうと思っていた。
月日が経ち2003年。生物部の学生がキャンパスで貯め糞を見つけた。H先生からの紹介で私の所に来てくれたので、20年前のポンたちの話をした。その後、その学生がタヌキの寝床を探し当て、タヌキの写真を撮って持ってきてくれた。写っていたのは紛れもなくポンであった。年老いてはいたが元気そうな姿だった。学生によるとタヌキは2匹いたそうだ。写真を確認するともう1匹はポンコのようだった。顔はポンコだが、体はまるまる太り立派になっていた。その後、巣になっていた女子寮が壊され、地下ボイラー室に通じるU字溝近くの隅にあった貯め糞が無くなり、ポン達の姿は消えた。巣を追われ何処に引っ越したのだろうか。
気にしながらもまた数年が経ち、2008年。新しく貯め糞場が現れ、キャンパスで4匹のタヌキの姿を見ることができた。ポンタの顔にそっくりな兄弟が現れホッとした。だが半年もしないうちに貯め糞が無くなり、彼らの姿も消えた。どこに行ったのだろうか。無事に生きていてくれ。ポンの血を引くタヌキが今でも大学近くにいることを願う。私はまたいつかタヌキたちに会えることを願いキャンパス内を気にしながら見ている。
最近「タヌキを見た」と聞き、探したところ少しではあるが貯め糞が見つかった。現在、生物部が学内の何か所かにカメラを設置して調べているところだ。元気な姿が写って報告があることを楽しみに待っている。
(タヌキ/イヌ科 2024年2月.記)