

2012年10月。愛犬のラッキーと利根川河川敷に散歩に行った時に、私は初めてコウノトリに出会った。その頃は毎日のように「コウノトリが来ている!」と、大勢の人が写真を撮りに河川敷に来ていた。多い日には100人はいただろう。大砲と呼ばれる大きな望遠レンズを付けた立派なカメラばかりが並んでいた。彼らの後ろを通ると「コウノトリが今どこに居るかわからない」と携帯電話で話す声も聞こえた。仲間と連絡を取り合っていたのだろうか。
私がいつものように車で用水路の横を通っていた時である。ラッキーが後ろの指定席から「クークークー(何か居るよ)」と教えてくれた。コウノトリだ!進行方向右側の100mほど先。用水路の水の中に立っていた。「居たね。ラッキー、教えてくれてありがとう。」と返事をして、私は速度を落としてゆっくりと近づき、通りがけに運転席からコウノトリに声をかけ待ってみた。思った通り、ゆっくりと歩いて車に近づいて来てくれた。直線距離にして4mくらいか。まずは挨拶ができてよかった。
次に横を通った時に再び「オーイ」と声をかけてみた。するとコウノトリは私たちの車を見て寄って来てくれた。車を止め、運転席からしばらく話しかけていると、「なんだ、またお前か。」というように私の声を聞いていたそのコウノトリが泥を突きはじめた。ドジョウを取って食べていたのだ。食事中のコウノトリにラッキーが「クークークー」と声をかけると、コウノトリは私たちをじっと見た。私が「大丈夫だよ。何もしないよ。」と言うと、真ん丸な目で私たちを見て「グー」と一鳴きした。しばらくすると満腹になったのかどこかへ飛んで行った。
2012年に千葉県野田市に「こうのとりの里」という飼育・観察施設ができた。そこからは、飼育されたコウノトリが発信器をつけられて何羽か放鳥されたという。手賀沼でも背中に発信機が付けられたコウノトリを何度か見かけた。その個体の名前がわからなかったので私は勝手に「コウチャン」と名付けた。1日目は鋭い目でにらまれたが、私が何回か「コウチャン」と声をかけてみると寄って来てくれるようになった。
コウチャンは、私がラッキーと一緒に様子を観察しているとドジョウやザリガニを取っては私たちをジロッと見た。きりりとした赤い隈取のある、一見冷たい視線。しばらくして私たちが敵ではないとわかると彼から私たちの方に寄って来てくれるようになった。何回目かに会った時に、コウチャンは自分の背中を突き私を見た。背中の発信機が嫌だと言っているようだった。「ごめんコウチャン。それは取ってやれないよ。」と言うと、声音で理解したのか、グッと私を睨んで嘴をカタカタと鳴らした。それから暫くは時間が合わずコウチャンに会うことができなかったのだが、後にコウチャンを知る鳥仲間から「茨城県で事故にあって亡くなった」と聞かされた。他にも放鳥されたコウノトリの多くが事故で命を落としてしまったと聞いた。“自然に返す”とはとても難しいことなのだろうと思う。飼育されていたからなのか、コウチャンも人間に対して警戒心が薄かったように思う。だが彼も手賀沼に居つくことはなかった。いつかこの付近にコウノトリが増えることを願っている。
(コウノトリ/コウノトリ科 2022年12月.記)