キャンパスの植物たち

東邦大学名誉教授  吉崎 誠

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キャンパスの植物達

理学部II号館周辺(1)

理学部I号館とII号館の間の東側にエノキの大きな木があります。貯水槽の上にまで大きく枝を広げていることから、落ち葉が貯水槽の屋根に落ちてたまるので、切り倒してしまえという話しが年に何回も立ち上がります。そのたびに、少しばかりの枝を落とすことで、伐採を切り抜けてきました。でも、いつ切り倒されないともかぎりません。守り抜く気がなければ、みんなが守ろうとしなければ、すぐに切り倒されてしまうことでしょう。

 中庭の理学部II号館側には、カキ科のカキ、ブナ科のシラカシ、モクレン科のタイザンボク、モクセイ科のトウネズミモチ、クスノキ科のクスノキ、カエデ科のイロハカエデ、ネムノキ科のネムノキ、ニシキギ科のニシキギ、クマツヅラ科のムラサキシキブ、ツバキ科のナツツバキ、クスノキ科のタブノキがあります。

 秋のみのりは柿と栗というほどに日本の秋は、柿に魅せられます。あんなに渋いカキの実がどうしてあんなに甘くなるのか不思議な果物です。ここのカキは次郎柿です。著名な渋柿です。赤くなっても渋い柿でうっかり手を出して裏切られたと思った人がなんとたくさんいることでしょうか。

  カキの木を押しやっているのはシラカシです。葉は互生し、革質でやや細長く、へりにきょ歯があります。上面はつやのある緑色で、葉裏はうすく白い、常緑樹です。

 八千代市から内陸での森はスダジイシラカシアカガシが優占します。それに対して海に近い習志野市や船橋市の森ではスダジイタブノキシロダモが優占します。

 ここの小さな中庭の林でも、やがてはこのシラカシが最も大きな木になるにちがいないのです。今は、このシラカシの頭をおさえているのはネムノキ科のネムノキです。大型の二回羽状複葉は夕方や雨の時には葉を閉じる。6月の暑くなり始めたころ、樹冠に淡い赤桃色の花が咲く。夕方開花とともに雄蕊がのびて赤く色づく。果実は豆果で、これが特徴でマメ科のメンバーだった。今はもっとも背の高い木だけれども、やがてシラカシにとってかわられるに違いない。樹木を下から見上げることは多い。でも、樹冠を見下ろすことは少ない。理学部I号館とII号館のベランダや渡り廊下から眺めてください。そうすると、樹木同士がいかに太陽の光を得ようとのびてゆく様子がよく理解できるはずです。

東金街道

 船橋市大神宮から、東金市八鶴湖までほぼまっすぐに作られた道を「東金街道」とよびます。JR津田沼から東邦大学まで通う道が東金街道で、江戸開府時につくられた道のひとつです。東邦大学習志野キャンパスは、習志野市大久保で「東金街道」に平行してつくられた道です。国立習志野病院前から大久保4丁目までの道はまっすぐで、幅広い道です。習志野市は軍都とよばれたところで、この道沿いに軍の施設が並んでいました。戦後、これらの施設が大学にとってかわりました。1960年代には西から国立習志野病院、東邦大学一般教養・附属中高等学校、日本大学生産工学部、習志野郵便局、習志野警察署、東邦大学理・薬学部、千葉工業大学寮、千葉大学附属腐敗研究所と並び、まだ軍の木造施設をそのまま使っていました。軍の木造の建物はたったひとつ、東邦大学柔道場として残っています。どこかに、「国有財産」という木札が打たれているはずです。

 京成大久保駅から、日本大学生産工学部への道はまっすぐな道です。1960年頃にはこの道の所々が畑でした。津田沼駅から来たバスが、大久保十字路で左に曲がり、日本大学に向かう道は、今は一方通行の道です。この道を、バスがすれ違ったものです。三山からきた道がそのまままっすぐに南に走ると京成線にぶつかります。この道は1970年頃に開削された新しい道です。

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▲タイザンボク

▲イロハカエデ

▲ネムノキ

▲ニシキギ

▲コムラサキシキブ

▲タブノキ

 

 

 

 

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