後藤先生の徒然日記

コイの長寿伝説 Ver.2


図1多摩川べりのコイの産卵

 四月初旬、多摩川下流域の河川敷は満開の桜の花を見物する人々で賑わう。川の中も賑やかである。早朝ジョギングをしていたら、薄濁りの緩やかな流れが盛り上がり、浅瀬で濃灰色の大きな魚の背が幾つも水面からせり出てバシャバシャと水が跳ね上がっているのが目に留まった(図1)。コイの産卵だ。よく見るとかなりいる。菜の花やハマダイコンの花とともに早春の岸辺の風物詩だろうが、近くに引っ越して来たばかりの私には初めての光景である。元気なコイを見て20数年前を想い出した。

 東邦大学に赴任して老化研究を本格的に始めた頃、大学院の恩師M先生の研究室を訪問した際、先生がNature(イギリスの伝統ある著名な学術雑誌)の最新号を開きながら「君、面白い記事があるよ」と見せて下さったのは”The elixir of life(不老不死の霊薬)”と題する1ページ足らずの解説記事だった(註1)。Natureは興味深い論文が出ると科学の素養がある一般市民を対象にした解説を載せる(News and Views欄)。記事のエッセンスは以下の通りである。

『伝説の長寿魚コイの小腸から抽出したタンパク質性の物質がノトバイオート(特定の微生物だけをもった)マウスの寿命を大幅に伸ばしたと報告されている。その後、物質の単離に成功し、“ロンジェビンlongevin(longevity=長寿あるいは寿命、に由来する)と命名された。ロンジェビンはタンパク質で、16アミノ酸残基のA鎖と20アミノ酸残基のB鎖から成り両者はジスルフィド結合(SS結合)で繋がっている*。面白いことにA鎖はコイの腸壁の細胞で合成され、B鎖の方はコイの腸内大腸菌によって合成される。ロンジェビンは魚のペプチドA鎖とバクテリアのペプチドB鎖のハイブリッド分子というわけだ。今回、熱不安定なB鎖遺伝子を工学的に改変して熱耐性にして発現させた大腸菌をマウスに導入したところ、寿命が延伸することが判明した。副作用は体毛の一部が尻尾に見られるようなウロコ状になることである。ロンジェビンはどうやら他の魚にもありそうだ。実際、北海道のFuro & Chojuの報告にあるように冷水魚の内臓を食べる習慣のある世界各地の老人たちは至って元気で長命である・・・・』

といった内容で10報近い文献が引用されている。

*SS結合 : タンパク質(あるいはペプチド)中のアミノ酸のシステイン残基の硫黄原子(S)と別のシステイン残基の硫黄原子が繋がってSS結合を作ることがある。例えば血糖降下ホルモンのインスリンは前駆体タンパク質から作られたペプチドA鎖とB鎖がSS結合で結ばれて活性をもつ。

 結びに”Long life is a fishy business indeed.” (長寿の話なんて怪しいもんだ)とある。 単純な私は、へぇー面白いな、と思った。生化学の知識からすれば、データこそ出ていないが記載は具体的で、あってもよさそうな内容だ。魚と腸内細菌のSS結合ハイブリッドペプチドなんて、聞いたことはないが、あったら面白い。
 この記事の引用文献には実在の学術雑誌(と見まごうもの) (Phil.Trans.R.Soc.とかPro.Natl.Acad.Sci.など)が入っている(本物にはそれぞれ発行地を示すLond, USAが付いている)。話のオチは、週刊誌Natureの発行日が4月1日ということ。イギリス人のジョークは徹底している。かつて、エイプリルフールに公共放送BBCが火星人襲来のニュースを流し、ロンドン市民がパニックになったとか、ならなかったとか。

 真面目な顔で記事を紹介されたM先生は私をからかおうと思われたのか、ご自分もまんまといっぱい食わされたのか分からない。 日本では古来、コイは長寿とされていて古刹の裏庭の池に何代も前の和尚さんが飼っていたコイがまだ泳いでいる、などといった話もある。魚には長生きのものが多いが(中には大変短命の種もいる。別項「寿命4ヶ月のカメレオン、1年性の魚」参照)。ある種の魚が大変な長寿であることは確かのようだ。魚の年齢は耳石*に刻まれた“年輪”から推定する。アメリカの友人でカサゴ(メバル)の長寿メカニズムを調べている研究者によると漁師の網にかかったものの中には200歳近いのもいるらしい。

*耳石 : 魚の頭骨の中にある炭酸カルシウムの結晶で平衡感覚のコントロールに関わっている。日ごとに年輪のように作られていき、夏季は成長が速く、水温が低い冬季は成長が遅いので縞模様ができる。このことを利用してサカナの成長や年齢が推定されている(例えば、福井県水産試験場のホームページ参照)。

 実は、Natureのコイの長寿の話には、元になっている本がある。1939年オールダス・ハックスレーは未来・寓話小説『夏幾度も巡り来て後に』を発表した(註2)。この本で長寿社会の到来を予見したハックスレーは城の池で飼っていたコイの腸を食べていたイギリスの伯爵が90歳を超えてなお、かくしゃくとしていて精力旺盛だったという空想物語を書いている。当時は、別項「這う男とアンチエイジング」でも触れたように、各種の怪しげな老化防止法が世に出回っていた。ハックスレーがどうしてコイの内臓に着目したのか分からないが、彼がこの本を書いたのは、母国イギリスをはじめヨーロッパ諸国がアジア・アフリカの国々を侵略し植民地を広げていた時代で、ヨーロッパ人は神秘の国である日本や中国に特別の関心を持っていたと考えられるので、観賞用に飼われていたコイが長寿だという話はその中で得た情報かもしれない。

1982年のNature記事の後日談として11年後の1993年4月1日号の同誌に掲載されたもう一つの老化関連ジョーク記事にオスカー・ワイルドの小説『ドリアン・グレイの肖像』(註3)をもじった”Dorian Gray mice”がある(註4)。

同書は、画家がモデルにして描いた美貌の青年ドリアン・グレイが出来上がった絵をみてふと口にした願望のように永遠の若さを保ち続ける一方で、他人に観られないように密室にしまい込まれた肖像画の中の人物は次第に老人の姿に変貌していくという物語だ。長年思い悩んだドリアンはそれから逃れようと肖像画を描いた画家を殺害した。かつての願望通り若さを保ち続けた彼はそれが重荷になって気が触れて、ある夜画家を殺めたナイフで老いゆく肖像画を切りつけた・・・悲鳴を聞いて駆けつけた召使は主人が描かれた絵が切り裂かれ、 前の床に胸を刺されて死んでいる醜い老人を見つけた、という話である。ある種の怪奇小説と言えないこともない。ワイルドの意図は全く別のところにあるはずだが、私には、もちろん、この有名な小説の評論をする資格はない。

 Natureの記事“Dorian Grey mice”の概要は以下の通りである。
『ストイト生命科学研究所のオゥビスポゥはコイやガラパゴスゾウガメのような変温動物が飛び抜けて長寿で生涯成長し続け老化の徴候を示さない仕組みを研究していた。ストイト(富豪の慈善家)もオゥビスポゥ(彼のお抱え医師)もハックスレーの小説の主要登場人物名。オゥビスポゥらはコイの腸内細菌が産生するタンパク質ロンジェビンが長寿の原因であることをつきとめた(このくだりは1982年の記事を引き継いでいる)。単離した遺伝子tith(タイトニン)をマウスに導入したところマウスはヒゲを失い全身のヒフが尻尾に似たウロコ状に変化した。調べてみるとロンジェビンはマウスの腸細胞がつくるタイトニンと名付けられたタンパク質と二量体を形成していた。このタンパク質を若いマウスに投与すると長骨の骨端部の融合が遅延することが判明。そのため生涯成長が続くらしい。タイトニンという名称はギリシャ神話でゼウスが永遠の命と引き換えに永遠の若さを剥奪された英雄タイトマスに由来する。オゥビスポゥは、ロンジェビン /タイトニン二量体はハックスレーがいうネオテニー*をマウスに引き起こし成長しても幼若状態が維持されているのではないかという。

*ネオテニー : 19世紀後半、スイス・バーゼル大学教授ユリウス・コルマンが成熟したイモリが幼生の形態を維持していることを表すのに使った用語。イモリの仲間のアホロートルがその典型として有名。日本語では幼形成熟と呼ばれる事がある。後年、ルイス・ボルクは、ヒトは大人になっても他の哺乳類と比べて胎児・幼児の形態を保持していることを指摘して胎児化とか発育遅延と呼んだ。たとえば、頭蓋骨が丸みを帯びている、体毛が少ない、など。一連の議論はアシュレイ・モンターギュ『ネオテニー 新しい人間進化論』(尾本・越智訳、どうぶつ社、1986)に詳しい。現在は絶版になっているようだが、私は30年前に読んだ際、初めて知ったネオテニーについて大変感銘を受けたことを記憶している。

 tith遺伝子は硬骨魚や爬虫類にはあるが、哺乳類には存在しない。進化の過程で何らかの理由で欠失してしまったらしい。tith遺伝子を膵臓アミラーゼ遺伝子のプロモータにつなぎ発現させた。マウスはラット並に成長し大きくなったが心疾患のために死亡した。その原因は温血動物で産生されたタイトニンが分解されやすいためらしい。研究を重ね浅間山麓の温水に生息するコイのtith遺伝子が熱耐性であることをつきとめた。これを導入されたマウスは長寿でウロコも生じなかった。tith遺伝子を導入したウシの研究も神戸で行われた。アポトーシス*誘導タンパク質遺伝子とtith遺伝子がモルヒネ受容体遺伝子のプロモータを持つように作成し、飲料水にモルヒネを加えて飼育し、tithマウスが実験室から逃げ出しても野生で繁殖できないようにした。tith遺伝子と抗アポトーシスタンパク質遺伝子をモルヒネに応答して発現するようにしておいて飲料水に微量のモルヒネを加えて飼育し、もし遺伝子改変マウスが実験室から逃げ出してもモルヒネがない環境下では抗アポトーシス遺伝子の発現が止まり筋肉などの組織細胞が壊死してマウスが死ぬという仕掛けだ。国際遺伝学会ではこの研究に関して様々な意見が出た。将来ヒトに応用されたら『すばらしい新世界』(オールダス・ハックスレー)のような時代が到来するかもしれないという意見やウシを安楽死させて牛肉を柔らかくするのに有効になるだろう、など。遺伝子工学技術開発初期に新技術の潜在的危険を規制するために開かれたアシロマ会議*での熱い議論の再現のようだった・・・』

*アポトーシス : 細胞は普通傷害を受けて死ぬ(ネクローシス、壊死(えし)という)。しかし個体にとって有利になる場合は自ら進んで死ぬことがある。これをアポトーシスという。計画的な細胞死ということでプログラム細胞死ということもある。過度なアポトーシスが起こるのを防ぐための抗アポトーシスタンパク質もある。

*アシロマ会議 : 1976年、組み換えDNA技術開発の初期に、その潜在的危険性を憂慮した日本を含む世界十数か国の分子生物学者がアメリカのアシロマに集まって、自主規制のためのルール作りをした。遺伝子改変されたバクテリア・ウイルス・その他の生物が自然界に拡散することで起こりうるリスクを減らすための物理的・生物的封じ込め方法が議論され、それに基いて各国で組み換えDNA実験指針がつくられた。

 ドリアン・グレイやピーターパンを夢見る人々をターゲットにした現代流行りのアンチエイジング法の大半は学問的裏付けの乏しい“Carp business”と言っていい。抗老化作用があるかどうか知らないが、私は秋の夕べに茜色に染まったウロコ雲を見上げながら脂がのった塩焼きサンマのはらわたを食する方を好む。(初出2008年4月6日;Ver. 2, 2017年11月27日)

  • 註1 The elixir of life: Nature 296: 392-393, 1982
  • 註2 オールダス・ハックスレー『夏幾度も巡り来て後に』(高橋訳、近代文芸社、2012)
  • 註3 オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』(仁木訳、光文社古典新書、2006)
  • 註4 RA Weiss: Dorian Grey mice: Nature 362: 411; do. 363: 666, 1993

 

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