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カムチャツカへチュダエフ氏もイギリス地質調査所のポール(Poal )氏との共同研究でカムチャツカのフィールドに出向く直前で、彼の面倒を見ていた関係上、今回ギオルギ氏の家に一泊ごやっかいになり、翌朝カムチャツカへと旅立ちました。 カムチャツカへはウラジヴォストクから空路約3時間です。 セルゲイ(Sergey)氏とその友人が迎えに出て下さっていて、久々のセルゲイ氏との再会に心を躍らせながら彼らの車に荷物を詰め、市の中心部へと向かいました。 W氏とH氏には初めてのカムチャツカということもあり、歓迎の意味を込めセルゲイ氏は次の日から様々な楽しい企画をたてて下さいました。 軍の記念日に旧市街を訪れましたが、冷戦時代では考えられなかった事ですが、外国人に対しても様々な軍の車両が公開され、食べ物屋の屋台も出て、沢山の市民でレーニン広場は賑わっていました。 またある時はセルゲイ氏の奥様やご近所の奥様たちが天気がよいので"散歩"に行く、というのでついて行った事等、日本では体験出来ない多くの経験をさせて頂きました。この"散歩"に関しては、どうも犬の散歩もかねていたという事も後で知ったのですが、これは日本の感覚でいう"散歩"とは程遠く、確か4〜5時間程度自然の中を歩き続けていた事を記憶しています。 こう書いていると我々はなにか遊んでばかりいるように思われますが、我々がフィールドへ行こうとする時、ヘリコプターを特別にチャーターすると大変な金額になるので、私たちの目的地周辺へ行くヘリコプターに安い料金で便乗させてもらいます。 研究の拠点となるロシア科学アカデミー火山研究所は4+1(屋上にある通信施設?)階建ての建物で、地質学、地球化学、地殻化学や地震学等の研究者が集まっているところです。市内のはずれに位置しており相当広い敷地を有しています。 ヘリコプターにて数日後、ガイザーヴァレイ、ウゾンカルデラ行きの観光ヘリコプターが、途中カリムスキー湖のベースキャンプに立ち寄ってくれると言う連絡があり、遅い朝食を済ませた我々はエリゼバの空港近くのヘリポートへと急ぎました。セルゲイの家から車をとばして約40分の距離にあるヘリポートに到着した時には、まだ一般の乗客の姿は無く閑散としていました。 また、丁度この日はガイザーヴァレイに行くヘリコプターも出ると言う事で、H氏は通訳のオリガさんと共にこのヘリコプターに特別に乗せてもらい観光?が出来ることになった模様です。帰国後に聞いた話によるとH氏のヘリコプター・ツアーは大変なもので、山小屋を建てる資材に埋もれてガイザーヴァレイに行き、ガイザーヴァレイで資材を降ろしたヘリコプターは鉄クズを積み、それをどこかに捨てに行ったのだそうです。 原野の中に鉄クズを捨て空になった状態で、半島西海岸の漁港にそのヘリコプターは降りたそうです。そこにしばらく停まっている様子で、ロシア人の漁師にどうも強制的に小屋に連れられて行かれたらしいのですが、いったい何が起こるのかと思った時、粗末な小屋の中にはあふれんばかりのイクラがあり、ウオッカと黒パン・バター付きで、腹いっぱい食(く)って行けと言うことだったそうです。 いつもフィールドへ行くのに利用するのは器材を積み込むヘリコプターで、軍の払い下げのようなベンチシートで、シートベルトも不完全のようなヘリコプターばかりに乗っていました。しかし、今回は2人用のきちんとした座席が進行方向を向いて2列並んでいる観光用ヘリコプターでした。出発時間が近づいたのか車で続々と乗客が集まって来て、約40席は満席になりました。乗客はわれわれ以外は全てロシア人だったのですが、このツアーの価格は決して安いものではないので、ある程度高額な料金を払って観光が出来る高額所得者が増えて来ている事を感じました。 セルゲイ氏、W氏、杉森とガイザーヴァレイ・ウゾンカルデラ観光ツアー御一行様を乗せたヘリコプターは、ヘリポートを飛び立ち隣接するエリゼバ空港の滑走路を横切って一路カリムスキー湖を目指しました。そして機内ではパンフレットを配り観光案内が始まったではありませんか!!今までない経験にびっくりしながら、カムチャツカの大地を眼下に一時間程経った頃にカリムスキー湖のカルデラのエッジを越したヘリコプターはきれいなブルーの湖水をたたえるカリムスキー湖の上空へと達しました。 美しい湖面を眼下に眺めながら我々のキャンプ地に近い平地にヘリコプターはランディングしました。 その時、上目使いでふと見上げた丸窓から観光ツアー御一行様がビデオやカメラをこちらに向けていました。そうです!我々は彼らの格好な被写体になっていたのです。ヘリコプターはそのものすごい爆音が遠ざかるとともに、すーっとカリムスキー火山の方向に飛び去って行きました。静寂が戻り、先にキャンプを設営していて下さった学生達が我々を迎えに来てくれました。 キャンプ地にて一通りメンバーの紹介を受けた我々は、ひとまず自分のテントに入り荷物の整理を始めたのですが、フィールドに行く前に男女の区別なく皆同じテントになる可能性がある、と話したW氏には小さいながらも"個室"が与えられ、大喜びをしていました。 キャンプ地は湖底噴火をしたクレーターの対岸に位置し、カリムスキー湖を隔ててカリムスキー火山を望む地にあります。直線で火山までは7〜8kmあるそうです。5分から数10分間隔で噴火が起き自然の雄大さを目の当たりにしたのですが、日本でしたら危険地区に指定され立入禁止となり、この様な風景は身近に見ることが出来ないと思われます。 夏のカムチャツカでは日没が10時30分頃で、暗くなるのが11時30分過ぎと大変遅い時間ですが、この頃になると、夕焼けとその向こうの富士山型のカリムスキー火山のシルエットと噴煙とが相まって、昼間とはまた趣が変わったすばらしい景色を見ることが出来ます。 フィールドワークでは体力勝負の仕事が待っているので、天気に恵まれた翌日は、湖やその周辺の偵察と体慣らしのために"湖一周旅行"が企画されました。 私、W氏、そしてロシア人科学者のタマラ(Tamara)女氏は時計回りで"湖一周旅行"に出かけました。歩き易い場所でしたが、途中足をかける場所が無く急な岩場が有ったので、山の方向へと迂回しながら歩いたため、われわれ3名は徐々に高い場所へと行ってしまい、さらに悪いことにはブッシュに入ってしまったので、短い距離を行くのに本当に時間がかかってしまいました。 いよいよ本番、熱水の調査 後日、この場所を通った同じグループの人は岩にはいつくばり訳なく通過したらしく、これを知った私はさらにがっくりと落ち込んでしまいました。私にとっては難所であったこの場所を通り過ぎるとすぐに"アカデミシャン"と名付けられた熱水の間欠泉や数種類の熱水のプールがあり、またその脇には湖底噴火が起きた時に新たに湧出した温泉もあり、私の興味をそそりワクワクしてしまうフィールドが何カ所もありました。ここは我々のキャンプから湖を約3分の1周したところで、そこから数キロ湖畔を歩くと丁度湖を半周した場所(キャンプの対岸になる)に出ました。
さらにおもしろいことに、その熱水がある位置からカリムスキー火山に向かった直線上に大小のすり鉢型や茶筒状のクレーターが数カ所在り、そのいくつかは冷水をたたえ、また熱水が湧出しているものもありました。 この熱水の流れは、私にとっては格好の研究対象の場であり、ここで行った生物学的調査はすでに『温泉科学』誌に報告しました(温泉科学、50; 21-33, 2000 )。 唯一の流出河川を横切り、キャンプへはまだ半分残っている行程を歩き出したのですが、さすがに初日から湖一周二十数キロの道のりはきつく、遠方に我々のキャンプが見えてはいるもののなかなかたどり着けず、最後の数キロは重い足を引きずりながら無言で歩いたことを覚えています。 我々は最初から湖一周のつもりで歩いていたのですが、セルゲイ氏は足慣らし程度に歩いてくるものと思っていて、想像していたのと反対方向から帰ってきたのを見て、呆れていました。 本格的な熱水の調査をするために翌日は昨日と反対の方向へ歩き出し、流出河川の近くに存在した熱水の所に行きました。一度知った道は歩きやすく、昨日重い足を引きずりながら歩いた道?とは全く違った場所を歩いているように感じられ、まわりの風景も十分に楽しむことができました。 カリムスキー火山のふもとには1992・93年とお世話になった山小屋が有り、どうもそこには噴火後から地震学者が数名滞在し、火山に関する地殻・地質学的調査をしているらしい、と言う情報が入っていました。また、我々のベースキャンプの隣には例のへリポートを隔てて、アメリカ人研究者のベースキャンプがありました。
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