掲載:2002年9月25日
2002年8月11日、伊豆諸島鳥島は63年ぶりに噴火した。
この島は、絶滅のおそれのある大型の海鳥・アホウドリの主な繁殖地である。そのため、多くの人がこの噴火のホウドリに対する影響を心配した。幸運にも、今回の噴火はアホウドリの非繁殖期 、つまり鳥たちが鳥島を離れてアラスカ海域で過ごしている時期に起こり(過去には 1902年8月7-9日に大爆発、1939年8月18日-12月末には溶岩流)、直接の被害はなかた。また、今のところ噴火の規模は小さく、火山活動は鎮静化の方向に向かってい るようだ。
しかし、鳥島は1965年11月以来無人島で、火山観測機器がまったく設置されていない 。そのため、だれも今回の火山活動を予測することはできない。ひょっとすると小噴火ではおさまらず、過去のように大噴火が起こるかもしれない。当面、火山活動の推移を見守るしかないが、わたし自身は、この噴火のアホウドリに対する影響は小さく 、これによってアホウドりが再び種絶滅の危機に引き戻されることはないと考えている。以下にその理由を説明しよう。
第一は、アホウドリが陸上に住む鳥ではなく、海で採食する海鳥であること。噴火 によってかれらの生息場所が破壊されたり、かれらが食物不足に陥ることはない。アホウドリにとって、鳥島は卵を産み、ひなを育てる繁殖場所である。10月初旬に北太平洋北部から帰ってきた時、もし噴火が続いている場合には鳥島に着陸するのを避けて、繁殖活動を休止し、海上での生活を続けるだろう。そして、火山活動が鎮まって から繁殖を再開するにちがいない。
第二に、鳥島のアホウドリ集団の大きさがかなり回復したこと。現在、繁殖つがい数は約260組で(昨シーズンは251組だった)、総個体数は推定約1400羽になった。たとえ、鳥島で繁殖できない状態が数年間続いても、総個体数が1000羽以下になることはない(巣立ち後の死亡率は平均して毎年約4.5%)。その間に、これまでに巣立ったひな(最近の6年間で、90、130、143、148、173、161羽と合計845羽)がつぎつぎ に繁殖年齢(平均約7歳)に達するので、仮想的な繁殖集団の大きさは増加し続け、2008年には計算上で約420組になる。その後は新規加入がなくなるため、死亡によって 繁殖集団は少しずつ減少する。
そのころまでには、きっと火山活動は鎮まるだろう。そして、鳥島で繁殖を再開した直後には、営巣場所の選択や再婚に手間どって、アホウドリは繁殖能力を十分に発揮できないにちがいない。でも、2-3年で繁殖を軌道にのせるはずだ。
アホウドリの寿命は長いので(巣立ったひなの平均余命は約22年と計算される)、繁殖のチャンスを数年間くらい失ったとしても、個体数が急速に減少することはない。
第三に、アホウドリの第2繁殖地が非火山島の尖閣諸島にあり、そこでも個体数が増加し、繁殖分布域も拡大していることがあげられる。ここでは1971年に南小島で約70年ぶりに生息が再発見され、1988年に南小島で繁殖が確認された。さらに2001-02年繁殖期には南小島の隣の北小島で約100年ぶりに1組のつがいが繁殖に成功した。こ こでは約50-55組のつがいが繁殖し、総個体数は約250羽と推定された。この集団は10年で約2倍の割合で増加しているので、数年後には約350羽になる。尖閣諸島集団での個体数の増加が、繁殖活動を休止した場合の鳥島集団の総個体数の減少を埋め合わせることはできないが、安全な第2繁殖地の存在は、種の存続にとってきわめて有利 である。
さらに、アホウドリがこれまでに数々のきびしい試練を乗り越えてきた事実をあげ よう。鳥島の前回の噴火は1939年で、当時、鳥島集団の総個体数はおそらく100羽以下だった。この噴火によって大量の溶岩が吐き出され、火山砂が厚く堆積し、営巣地 が破壊された。アホウドリは人間による乱獲に、自然の“追い打ち”という二重の苦 しみを背負わされた。このあとの繁殖状況は不明で、アホウドリは1949年には絶滅したと信じられた。だが、アホウドリはこの試練に耐え、生き延び、1951年に約10羽が 再発見された。それから50年間で1000羽を超えるまでに回復した。尖閣諸島では、約 70年後に12羽が再発見され、30年かかって約250羽に回復した。アホウドリが過去に 経験した重くきびしい試練に較べれば、今回の噴火は軽い部類に属する。
以下は補足説明。もし、噴火活動が長引けば、繁殖前の若鳥は鳥島以外に新しい繁殖地を求めるだろう(鳥島で繁殖経験のある成鳥は他の島にほとんど移住しない)。 その候補地は、最近、毎年数羽のアホウドリが姿を現している北西ハワイ諸島のミッドウェー環礁や毎年1羽が訪れている小笠原諸島聟島列島の嫁島である。このように 、鳥島の噴火は他の島や旧繁殖地への移住を促進する可能性がある。
わたしは、自分の生存中に鳥島が噴火するだろうと予感していた。それに備えるため には、繁殖成功率を引き上げ、ひなを増産する以外にないと考え、多くの人と協力し て、従来営巣地の保全管理工事に取り組んできた。そして、それに成功した。鳥島の 火山が大爆発を起こして水面下に沈まないかぎり、アホウドリは、今回の噴火によっ て個体数増加が足踏みをすることがあっても、復活への歩みを止めることはない。
2002年8月11日、鳥島頂上部から白色の噴煙が高さ200-300mに上昇しているのが付 近を航行中の遊漁船によって目撃され、海上保安庁に通報された。海上保安庁と気象庁は、8月12日に伊豆鳥島硫黄山(標高394m)の噴火を確認し、それ以来、9月4日までに4回にわたって航空機による調査が実施された。
噴火が確認された当初は、一時、200-300mの高さの噴煙が認められたが、8月21 日(3回目の調査)以降、噴煙は認められなかった。9月4日(4回目)には、約1時間 にわたって鳥島や同島近海の状況について観測された。その結果はつぎのとおり。
1)火口から噴煙は認められない。
2)火口および南西火口丘斜面の一部から水蒸気が上昇している。
3)噴火口の温度は50℃未満(サーマルカメラによる観測)。
4)水蒸気が上昇している南西側斜面の最高温度は47℃。
5)鳥島付近の海域では、島の周囲に変色域が見られるが、これは波浪浸食によるも ので火山活動とは関係ない。
以上の調査・観測結果から、鳥島の火山活動は終息に向かっている判断された。そ して、海上保安庁は、付近の船舶にたいして発していた海上航行警報を9月6日に解除 した。今後、鳥島で特別 の変化が認められないかぎり、火山観測だけを目的とした調査は行われない(海上保安庁の情報による)。
江戸時代には多くの舟人が遭難して鳥島に漂着した。かれらの記録によれば、鳥島 の火山は少なくとも1600年代の半ばから約250年間、噴火しなかった。
しかし、20世紀になってまもない1902年8月7日に、鳥島の頂上から黒煙が立ち上り、8日から9日の間に大爆発が起って、島民125人全員が死亡した。鳥島の中央部が陥没して大きな 穴(長さ800m、幅300-400m、深さ100m)が形成され、北側の海岸で水蒸気爆発が起 こり、兵庫湾が形成された。 1939年8月18日に噴火し、12月末まで続いた。島民は脱出して無事だった。この間 に、陥没部分が盛り上って中央火口丘(硫黄山)を形成し、吐き出された大量の溶岩 は北側に流出して、兵庫湾のそばにあった集落や千歳浦を埋めた。また、噴出した 多量の火山灰は、アホウドリの営巣地に厚く降り積もった。