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東邦大学名誉教授
長谷川 博

掲載:2015年2月10日

追悼 ランス・ティッケル博士

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1973年鳥島調査チーム、鳥島気象観測所庁舎の入口で(1973年5月4日)
「沖大夫荘(Albatross Inn)」の前での記念写真。ティッケルさん(前列左)と山階鳥類研究所の吉井正さん(前列中央)。そのほかの3人はイギリス海軍の人で、ゴムボートの操船、キャンプの設営、船との通信、ヘリコプターの誘導などにあたった。

 海洋鳥類学の先駆者の一人であるランス・ティッケル博士が、2014年6月10日、イギリスのブリストルで逝去されました。83歳でした。奥様からの手紙によると、長い間、前立腺がんを患い、それが重篤化したためホスピスに移って、そこで最後の数週間を過ごしたのちに永眠されたということです。2012年の夏、「6月に結婚50周年を祝った」という手紙をもらっていたので、健康でお元気に違いないと思っていたので、訃報に接し、非常に驚きました。

 ティッケルさんがイギリス海軍の支援によって鳥島に上陸し(写真)、オキノタユウの繁殖状況を調査した直後の1973年5月7日、京都大学で動物学を専攻する大学院生だったぼくは、まったく偶然に彼と出会いました。そして、強い刺激を受け、オキノタユウの保護研究を志しました。もし、この出会いがなければ、ぼくは40年近く鳥島に通い続け、この鳥の繁殖状況をモニタリングし、絶滅危機から脱するための積極的保護活動に全力を傾けることはなかったでしょう。そして、いったん保護研究を始めた以上、中途半端にせず、「鳥島のオキノタユウはもう大丈夫」といえる段階にたどり着くまでやりぬくことが彼との“暗黙の約束”だと、ぼくは思い続けてきました。

 ティッケルさんは大学卒業後の1954年、イギリス領フォークランド諸島に赴き、Falkland Islands Dependencies Survey(現在のBritish Antarctic Surveyイギリス南極局)に勤務し、気象観測にあたりました。その後、さらに南極に近いサウス・オークニー諸島シグニー島に派遣され、基地で観測業務にあたりながら、建物の建て直しから諸島全域探険調査、海洋生物の採集、海鳥類の野外調査まで行ないました。本国にもどった1957年に、オックスフォード大学エドワードグレー野外鳥類学研究所で、デビッド・ラックの指導の下に海鳥生態研究をまとめました。

 翌1958年、仲間と2人でサウスジョージア諸島に探険に出かけ、4か月間滞在して、オキノタユウ類4種の野外研究基地を立ち上げました。そして1960年から64年に、サウスジョージア諸島の鳥島(Bird Island)でオキノタユウ類の野外研究に取り組みました。

 その後、アフリカのいくつかの大学で教えた後、彼はブリストルにあるイギリス放送協会(BBC)の自然史部門(Natural History Unit)でプロデューサーとなり、自然番組を制作しました。そのうちの一つが“マラソンをする鳥”(Marathon Birds)で、1991年3月10日に放送され、世界のオキノタユウ類のほぼ全種(当時の分類で)について、繁殖地でのさまざまな行動や洋上での生態、人間との関わりなどが動画でくわしく紹介されました。この番組のため、ぼくは1990年11月に、鳥島でのオキノタユウとクロアシオキノタユウの撮影に協力しました(派遣されたカメラマンはバリー・ブリトンさん)。この放送で、絶滅寸前まで減少した鳥島のオキノタユウの個体数が回復したことを(当時、繁殖つがい数はまだ108組で、繁殖し総個体数は600羽弱だったにもかかわらず)、 'one of the major success stories of bird conservation'とコメントされたことを、ぼくはとてもうれしく思いました。

 また、彼はブリストル大学と関わりを持ちながら、様々な文献を渉猟してオキノタユウ類についての448頁もある大著 “Albatrosses”をまとめあげました(Pica PressとYale University Pressから2000年に刊行)。これにも、ちょっとだけ協力することができました。その年、ぼくはイギリス王室と関係した日本学士院エジンバラ公賞を受賞しました。その賞金のもっともよい使い道を考え、ティッケルさんとオキノタユウとぼく自身とで3等分することにしました。すなわち、彼とぼくの割当はその年にハワイのホノルルで開催された第2回国際オキノタユウ・ミズナギドリ会議への参加旅費とし、鳥たちの分は漁船のチャーター代としました。その会議に、彼は本の校正刷を持ってきて、うれしそうな表情で、それをぼくに見せてくれました。

 その後も彼の執筆は衰えを見せず、「サウスジョージア諸島探険記」を当時のフィールドノートにもとづいて書き上げた(未刊)、と手紙で知らせてくれました。彼は、生物学者・科学者、大学教師としてだけではなく、探検家、自然番組制作者としても活躍しました。

 本来なら、ぼくはティッケルさんを鳥島に案内して、オキノタユウの数が増えた景色を見てもらうべきだったでしょう。しかし、大学在職中、ぼくには自由な時間が少なく、滞在中に十分なお世話をすることができないと思い、招待することを断念しました。その代わりにオキノタユウのコロニーの写真や個体数の増加を示す図、ぼくの著書などを送り続けました。

 ほんとうに長きにわたって、ティッケルさんはぼくを刺激し、励まし、見守ってくださいました。そのことに心から感謝しながら、ご冥福をお祈りいたします。

長谷川 博

*ティッケルさんに対する追悼が下記サイトに掲載されています。彼の経歴について、より詳しく述べられています。

1) Agreement on the Conservation of Albatrosses and Petrels - Obituary: William Lancelot Noyes Tickell, pioneer albatross researcher, 1930-2014
http://acap.aq/en/news/latest-news/1819-obituary-william-lancelot-noyes-tickell-pioneer-albatross-researcher-1930-2014

2) South Georgia Newsletter, June 2014
Bird Island Pioneer Scientist Lance Tickell
http://www.sgisland.gs/index.php/%28h%29Lance_Tickell