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第2章 トカゲの島

その1 トカゲ採集

 ニホントカゲの観察をしていた高校3年の間、何かと話し相手になってもらっていた大学院生の一人、竹中践氏は日本中を旅しつつカナヘビの生態調査を進めていた。ある時、東京湾の横須賀沖に浮かぶ猿島で調査をするというので、私は調査助手としてさそわれたのだった。実地で大学院生の野外調査を体験できる、またとない機会である。

 船橋駅から総武線の快速で品川まで行き、そこで京浜急行に乗り換え横須賀駅まで行く。そこから歩いて約10分。猿島へ渡る遊覧船の船着き場に着く。約15分の船旅で、砂浜の一角から突き出した木製の桟橋に接岸する。すき間だらけの板張りの桟橋から海をのぞくと、赤いまだらのイトマキヒトデが支えの木杭にはり付いているのが見えた。振り返ると、桟橋の右に小さな砂浜があり、海水浴をしている観光客、沖の深みでオバケアサリを採っている人々、そしてその向こうには三浦半島の低い丘陵の山並と横須賀の街が見える。セミが唸るように鳴き、赤土の滑りやすい小道を登る。
 第二次大戦当時も要塞の島だった猿島には、レンガ造りのトンネルや指令部の部屋跡がいたるところにある。分厚いコンクリートの台座には、巨大な大砲が東京湾の入り口を見据えていたはずだ。そんな名所を見て歩く恋人同士もいる。けれども私たちといえば、左手に木綿の手拭から作った布袋をさげ、道脇の石垣やクズにおおわれたササへ視線を投げかけつつ、横を向きながら小道を歩いていた。石垣のあたりではニホントカゲを、ササのしげみでカナヘビを探すのだ。

 カナヘビもニホントカゲも、進行方向に向かって右側にいるやつの方が捕りやすい。右利きの私は、トカゲを見つけるとじっくりと近づき、右足をできるだけそっと、トカゲに向かって踏み出し、そこに右足を固定する。右手は、空手チョップをする力動山のように肘を突き出して手前へ曲げ、胸の所に手の平を水平に構える。そして、この状態を保ったまま徐々にトカゲに向かって体を前へ傾ける。踏みしめた足の位置は動かさず、右膝の屈伸だけで、トカゲとの距離を調節する。腰を落として構えるのは当然のこと。目の位置が獲物から遠ければ、それだけ繰り出す手の狙いがぶれ、正確さを欠く。このように窮屈な姿勢をとりながらも、上体をふらつかせず、しっかりとトカゲに定位することができるのは、私が軟式テニスで足腰を鍛えていたからだ。
 体がトカゲから離れている間、目はしっかりとトカゲを見据え、位置と距離をつかむ。膝を曲げつつ体をトカゲに近づけ、意識的に目をそらす。トカゲに対して、おまえには関心がない、という素振りをするのだ。そして、肘を胸の前に構えたままの姿勢を崩さず、ただひたすら膝の持久力を信頼しつつ可能な限りトカゲに近づく。タイミングをはかり、目をそらしつつ、ぎりぎりまで体を傾け、倒れ込む加速度を加えながら、右手を水平にすばやく繰り出す。捕まえても、逃げられても体はたいてい薮の中に倒れ込むことになる。膝を地面にこすり付ける。
 手を繰り出す前にトカゲがちらりとこちらを一瞥する。もう気付いている、というサインにも見える。そんなときはたいてい失敗する。呼吸して波打つ胸の動きを止めるのは、トカゲが緊張して息を止めているからだ。こちらも息を止める。トカゲの緊張が解けて、ふたたび胸のリズミカルな動きが再開するまでは、手が出せない。こらえきれずに捕まえようとすれば、たいてい逃げられる。草を引き千切るように倒れ込み、手にしっかりとトカゲをつかみ、あるいはむなしく枯れ草を握っただけにしても、いままでこらえていた息を整えようと、何度も深く息を吸い、吐く。私のベルボトムのジーンズはたちまちにして、青草の汁にまみれ、膝が擦り切れた。
 こんな捕獲方法は、膝が命である。運動不足で膝が笑い始めると、とたんに捕獲成功率が落ちてしまう。後年、カエル採集にひさしぶりの膝運動を行なった私の姿は、蛙拳と命名された。もっとも、トカゲ拳でも蛙拳でも上級者はいるもので、沖縄出身のある爬虫類学者は、逃げるトカゲに向かって二の手、三の手を繰り出すことのできる凄腕の持ち主だ。私のトカゲ拳は、一回きりのほとんどやり直しのきかない、一発必中を前提としたものだった。膝の衰えは、野外トカゲ学者として致命症である。

 採集したカナヘビはすべて1匹ずつ測定され、データを用紙に記入する。記録用紙は、ガリ刷りのワラバン紙で、測定項目が英語であらかじめ記入欄の左端に書かれている。校庭のニホントカゲでは測定したことのなかった部分まで、竹中氏は測っている。鱗の特徴も記録している。何気なく手伝いながら、「へー、そんなこともするのか、これは憶えておこう」などと、ちゃっかり学ぶ。この時採集されたカナヘビは竹中氏の研究材料となり、ニホントカゲは京都大学へ送られた。ニホントカゲを含む東アジアのトカゲ属の系統解析をテーマとする大学院生がトカゲたちを待っていた。
 研究材料として、まれにしか出会えない生物が研究者のロマンをそそるのは確かである。日本あるいは世界の各地に出かけていき、標本を集め、採集地点を地図に記入して分布図を作り、その地図を眺めながら現在の分布にいたる歴史的経緯に思いを馳せる。いわゆる珍品を採集し、分布図のポイントが1つずつ増えていく時のわくわくとした思い、そして分布図が浮かび上がってきたときの興奮、それらの愉しみを理解しないわけではない。にもかかわらず、当時私の関心は別の方向を向いていた。とにかくトカゲがたくさんいれば良い、というものだ。高校生の頃に誘われて行った猿島には、高校の中庭とは較べものにならないほどたくさんのトカゲがいた。島はよい所だ、なんたってトカゲが多いのだから。それからしばらく後、三宅島に行って来たという千石氏の話を聞く。掃いてすてるほどオカダトカゲがいるというのだ。そのころよく見た夢の中で、私は森や砂漠、草原を歩き回り、写真集や図鑑でしか見たことのない世界中のトカゲを捕まえまくっていた。オカダトカゲの夢をみたかどうか、記憶に残ってはいない。
 ともあれ、三宅島は機会があれば絶対行きたい場所の第一候補となっていた。

 一年浪人して東邦大学の生物学科に入学した私は、早くもその年、1977年の夏休みに合宿で三宅島へ行くことになった。三宅島は鳥で有名な島だ。この島以外ではほとんどみることができない種類、アカコッコ、オーストンヤマガラ、イイジマムシクイ、カラスバト、イイジマシマセンニュウなどの珍鳥がたくさんすんでいる。でも、実際に行ってみてこの島がすっかり気に入ってしまったという。千石氏の言う通り、なんたって、トカゲがわんさかいたからだ。

 オオバヤシャブシやガクアジサイの茂る林の中を狭い切り通し道が通り、木々の隙間から太陽の光が注ぎ、地面にまだら模様をつくっている。日のあたる場所に何気なく足を踏み入れてみる。ざざっと音がしてトカゲが林の奥に向かって逃げていく。オカダトカゲだ。10匹ぐらいいるだろうか。一足10匹。数歩あるいてまた1歩、草むらに足を踏み入れる。また10数匹、ざざざっと逃げていく。切れ目がない。なんてたくさんのトカゲだろう。道を歩いているだけでトカゲがどんどん見つかる。さがす必要なんてまったくないのだった。
 オカダトカゲとニホントカゲは別の種類であるが、大変縁が近い。それなのに、三宅島のオカダトカゲは小さいのも、中くらいのも、大きいのもみんなこげ茶色をしている。子供の時にしっぽが青いのがニホントカゲのなかまの特徴じゃなかったのか。そう考えながら歩き回り、やっと見つけたしっぽの青いトカゲはうまれたばかりの赤ちゃんトカゲだった。でも、何か感じが違う。尻尾は先端の方が少しだけ青いだけだし、白い縦縞もはっきりしていない。しかし、これがオカダトカゲを本州のニホントカゲと区別するもっともわかりやすい特徴なのだ。
 東アジアのトカゲ属の系統解析をメインテーマとする京都大学の大学院生、疋田努さんが、最初にオカダトカゲを手がけたのには確かな理由があった。伊豆諸島全域に生息するオカダトカゲであるが、島によって体色や鱗の数や形が異なる。日本の爬虫両生類学の礎を築いたスタイネガー博士は、1907年にオカダトカゲを記載した時点で、三宅島と新島の間で、かなり形態学的な差があることをすでに指摘していた。

 さて、系統解析とは進化の筋道を調べることである。全部で40数種にのぼるトカゲ属は、北アフリカ、西アジア、インド亜大陸から東南アジアの空白地帯を経て東アジア、北アメリカ、中央アメリカと、北半球の温帯に帯状分布する汎世界的トカゲである。シドニーにあるオーストラリア博物館の爬虫類学者、アレン、グリアー博士によれば、トカゲ属はトカゲ科の中でも最も原始的なグループだという。原始的な特徴と汎世界的な分布の組み合わせから、このトカゲたちが非常に古い時代に分布を広げ、現在もその分布域をそのまま留めているといってもよい。
 今日では、進化の筋道を明らかにするためには、遺伝子の配列を直接調べるという方法が普通に行われるようになってきている。しかし、この方法が行き渡る以前は別の方法に頼っていた。生物の身体をよく調べ、生活上特に生存を大きく左右しないと想定される特徴の中から、祖先的な形質を見抜き、対象とする種類がそうした祖先的な形質をどのように共有しているのか、その共有のパターンから、
 「このトカゲは他の種類よりも古い時代に分かれた」、
 「こっち種はもっと最近になって分かれたものだ」、
そんな風に順序立てていく。
 一つの種が二つ以上の種に分かれる過程は、こう考えるのが一般的である。陸上に住む生物は陸地が二つに分かれると、二つに分かれた集団は互いに交配することができなくなり、時代が経つにつれ二種に分かれる。そしてさらに、その一方がまた二つに分かれる、というように、生息する土地の歴史を反映して、種もまた分かれていく。この考えに基づいて生物の進化と土地の歴史を考えようとすると、とんでもなく古い生物の進化をいきなり研究しようという試みには、ちょっと無理が生じる。なぜならば、土地の歴史を読み解くのは地質学者の仕事であるが、進化を研究する学者はそういう地質学者の仕事を鵜呑みにするわけではなく、自分が扱っている生物の特徴から、土地の歴史についても独自の感覚を持つようになっているからだ。しかし、あまりに古い時代のことになると、日常感覚はもはや通用しない。そうなれば、地質学者の研究成果を無条件に信用せざるをえなくなる。
 扱う生物、扱う時代範囲、地理的な範囲をどう切り取って研究するか、それが勝敗の分かれ目ともなる。そう考えれば、トカゲ属の中でも東アジアという限られた地域に生息する種類を対象にした方が、事実に近づくには確実な方法である。さらに、もっと確実に土地の歴史と進化の関係を調べようとするなら、同じ種類と判定される種類の形態的な特徴をもっと限定された地域内で調べるべきである。島毎に異なる進化を遂げつつある伊豆諸島のオカダトカゲは、またとない研究材料であった。

 伊豆諸島の各島から採集されたトカゲはアルコール漬けの標本にされ、体の大きさ、プロポーション、色彩、体の各部分の鱗の形と数が計測、計量され、その記録を基に、変異の諸相を明らかにし、疋田氏は修士論文をまとめた。そして、これとは別のアプローチでトカゲの進化に取り組んでいたのが、竹中氏だったのである。疋田氏が分類学上重要な形態的特徴を取り上げてオカダトカゲの変異を研究するのに対し、竹中氏は卵の数や大きさ、繁殖開始年齢などの生活史に注目し、南の暖かい地域のカナヘビと北の寒い地域のカナヘビが、それぞれの気候条件にどのように適応しているのか、つまり生活様式の進化を明らかにしようとしていた。
 二人の先輩トカゲ学者のアプローチに触発された私は、二人からそれぞれ良いところ、好きなところをいただくという、かなり虫の良いやり方でオカダトカゲの研究を構想し始めた。生活史と生態の進化を伊豆諸島のオカダトカゲを材料に研究するというものだ。そして、実はこれと全く同じ観点からすでにすぐれた研究成果をあげていたのが、三宅島と伊豆半島のヤマガラの比較研究で博士号を取得し、東京大学農学部の助手をしていた樋口広芳氏だった。樋口氏に面会を求めたのは大学2年の秋、三宅島でオカダトカゲの調査を開始した直後のことであった。


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