後藤先生の徒然日記

フリーラジカル説の父デナム・ハーマン博士死す (2015年9月14日)

第五回順天堂大学スポーツ健康科学部国際シンポジウム

講演スライドの準備をするハーマン博士(87歳当時)

 昨年(2014年)11月、老化のフリーラジカル説の提唱者デナム・ハーマン(Denham Harman)博士がアメリカネブラスカ州オマハ市の病院で亡くなった。ヒトは100歳まで生きられると語っていた彼は、あと一歩で(98歳10ヶ月)その年齢に届かなかった。

 フリーラジカル説は一般には活性酸素が老化の主原因であり抗酸化物質により、それを遅らせることができるはずだという説として知られている。
  ハーマン博士がこの説を提唱したのは半世紀以上前のことで(論文発表1956年)、当時は科学的に証明できそうな老化学説はほとんどなかった。フリーラジカル説も当初は研究者の注意をひかなかった。化学者の間でもフリーラジカルという化学物質自体の理解は浸透していなかったというから、医学生物学の研究者が多い老化研究分野では、その意義を認める人は皆無といってよかったと思う。
  その後、生体内でフリーラジカルが生じること、それがタンパク質・DNA・脂質などの生体物質を傷害すること、更には一部のフリーラジカルを消去する酵素が存在することなどが明らかにされ、老化への関与が注目されるようになった。先進国での高齢化、人々の老化への関心の高まりを背景にこの説を巡る研究も活発になった。一般市民の間でも抗酸化ビタミンC,Eやポリフェノールなどの抗酸化サプリメントの摂取が流行し、現在に至っている。

 ハーマン博士は、カリフォルニア大学を出て、化学会社に勤めながら博士号を取得し、30歳を過ぎてからハーバード大学に入って医学を勉強した後、老化研究に身を投じた異色の研究者である。彼の学問的貢献やフリーラジカル説の歴史等について関心のある方は拙稿の追悼文(1)をお読みいただくとして、ここではその中にも書いた2,3のエピソードを紹介したい。

 彼が老化の研究を始めたのは、会社勤めをしながら化学の学位取得の勉強をしていた頃、妻のヘレンが婦人雑誌に出ていた解説記事を夫に見せたのがきっかけだったという。旧ロシアのキエフには当時(1940年代)老化研究では世界をリードする研究所があり、そこのボゴモレツはメチニコフ(免疫学の研究でノーベル生理医学賞受賞)の弟子で細胞毒血清療法で老化を制御できると唱えてスターリンらの治療を行っていたそうである。雑誌にあった記事はその紹介だった。ハーマンはそれに興味を覚えた。それは、しかし、有効性がその後否定された一種のイカサマ療法のようなものだった。いつの世にも専門家とか第一人者と称する人々が唱える怪しげなアンチエイジング法はあるものだ。ハーマン博士が通俗的な記事をきっかけに多くの研究者から注目され、現在もなお有力な老化化学説の一つになっている独創的は説の提唱者になっているのは皮肉というか、面白いことである。

 若き日のハーマン一家の住まいのお隣さんにロシアから移住してきたご婦人が住んでいた。彼女は生活の糧を得るために庭先に家具を並べて、商売を始めた。仕事は順調で次第に繁盛して、ついには米国一の家具店にまでなったそうである。彼女は100歳を超えてもなお働き続け、家族や周囲の人々からそろそろ引退したらと言われると「働くのを止めるのは、死ぬことと同じです」と応え、104歳で亡くなるまで働き続けた。ハーマン自身この教訓を実践し、ネブラスカ大学を70歳で定年退職したあとも、90歳半ばまで名誉教授として大学のオフィスに通い勉学を続けた。右下の写真は自ら創始した国際基礎老化学会を2001年バンクーバーで世話人として開催した時のもので、ヘレン夫人と息子さんが手伝っている。時に博士は85歳だった。私はこの会議に第一回(1985年)から出席しているが、毎回のように会議に出席し講演をして積極的な役割を果たしているその信念と歳を感じさせないバイタリティには頭が下がる。

 彼はフリーラジカル説提唱のすぐあとから、説の検証のために各種抗酸化剤やラジカル消去剤の実験動物(マウス)の寿命に対する影響を研究した。半世紀前に行われたアンチエイジングサプリメント研究のはしりである。この点では画期的な成果をあげたとは言いがたいが、終生フリーラジカル説の正しさを信じ、学会講演等で同説に言及し続けたが、私は、説の提唱者である彼が公の場で抗酸化サプリメントの摂取を推奨するのをほとんど聞いたことがない(家族の話として伝えられるところでは自らは摂取をしていたようであるが)。自説を強く信じていたとしても科学者として証明不十分なものを他人に薦める訳にはいかないと考えていたからではないかと推察する。ちなみに、ハーマンは健康のために身体活動が重要であることもよく認識していたようで、80歳台半ばまで毎日2マイルほどのジョギングを習慣としていたという。彼の健康長寿がサプリメント摂取によるのか、あるいは高齢まで勉学に勤しんでいたためか、そうでないかは分からないが、ジョギングを続けていたことからして、抗酸化サプリメントで事足れり、と考えていたわけではなかったことは確かだろう。

 近年、活性酸素には生体機能におよぼす作用について種々の側面(プラスとマイナス)があることが明らかになっており、フリーラジカル説に対する批判も根強い。しかし、老化分野で長く研究してきた私には、この説が老化の中心的な学説として今後も関心をもたれ続けるに違いないと思われる。


第9回国際基礎老化学会を主催(バンクーバー、2001:博士85歳:本文参照


Denham & Helen Harman夫妻、
故木谷健一国立長寿医療研究センター長(当時、右奥)と共に(右手前筆者)、日本基礎老化学会・名古屋へ向かう新幹線車中(2003)

<参考>

1) 後藤佐多良:追悼文 Denham Harman博士の逝去を悼むー老化のフリーラジカル説の誕生・歴史・展望ー、基礎老化研究 39: 87-92, 2015

2) ウィキペディア https://en.wikipedia.org/wiki/Denham_Harman

3) ハーマン博士の死を伝えるネブラスカ大学ホームページ
http://www.newswise.com/articles/dr-denham-harman-legendary-scientist-dies-at-age-98

4) インタビュー記事:Kitani K, Ivy G: “I thought, thought, thought for four months in vain and suddenly the idea came” an interview with Denham and Helen Harman, Biogerontology 4: 401-412, 2003

 

 

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