田原 淳(たはら すなお) −心臓の電気的刺激伝導系の発見者−

田原 淳(たはら すなお)(1873−1927) 九州帝国大学(現九州大学)名誉教授 病理学者 出身地:大分県

1903年 東京大学を卒業後に私費でドイツへ留学。マールブルグ大学病理学教室でL.Aschoffに師事。
1906年 田原の結節を発見し、”Das Reitzleitungssystem des Saugetierherzens”という論文を発表。
”田原の結節”は本来”アショフ−田原の結節”と呼ぶが、アショフの名前は省略されることが多く見受けられる。
帰国後、福岡医科大学(現九州大学医学部)の助教授となり、翌年には35歳にして教授に就任、退官後は名誉教授となる。

田原は留学先のドイツ・マールブルグ大学病理学教室において、心臓の筋肉を何千枚もの薄片にし、顕微鏡や肉眼で丹念に観察するという作業を繰り返し行いました。このとき多数の薄片スケッチを残しています。そして遂に、心房と心室とをつなぐ特殊な心筋線維が存在することを発見し、この心筋線維こそが心臓拍動の「刺激伝導系」であることを明らかにしました。
この発見により1906年当時の心臓収縮に関する「神経原説」と「筋原説」の議論は終息します。従来から主流とされていた「神経原説」を完全に覆し「筋原説」が正しいことを証明したのです。
この業績は現在の心臓生理学や臨床研究の発展の礎となっており、心電図法の確立やペースメーカーの開発の基礎となる大変な偉業であると言えます。 外国の教科書にも”房室結節は「田原の結節」とも呼ぶ”と書かれています。
ノーベル賞に価する発見とも言われるのですが、当時の日本人に対する世界の評価を考えると無理なことであったのかと想像されるのが非常に残念なことです。

”たはら”? ”たわら”?

1906年に論文を発表する際、田原は姓を”TAWARA”と記しています。ですので、英語やドイツ語の論文を読んだ研究者の中には”田原(たはら)”の読みを”たわら”であると思っていた人も少なくはないようです。
また、恩師アショフが来日した際に、”タワラ”や”タバラ”とドイツ語風の呼び方をしたために英語やドイツ語の書物における表記は”TAWARA”とされたのだろうとも言われています。



神経原説

”神経が毎回命令を出して心臓を動かしている”という説

筋原説

”神経とは関係なく筋肉が心臓を動かしている”という説