掲載:2011年2月24日

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アホウドリの回復:10年前の予測の評価と今後の展望

 約10年前、「アホウドリ(=オキノタユウ)『再発見』50周年」とぼく自身の「アホウドリ保護研究25周年」を機に、このバーチャルラボラトリ『アホウドリ復活への軌跡』を開設しました(2001年9月に原稿をまとめ、2001年11月5日に公開)。そして、最初の調査報告の「まとめ」をつぎのように締めくくりました(下記サイトを参照)。

http://www.mnc.toho-u.ac.jp/v-lab/ahoudori/research/report/kinkyo/kinkyo1.html

 鳥島でも南小島でも、アホウドリ(=オキノタユウ)の個体数は順調に増加し、総個体数はおよそ1500羽に回復した。そして、アホウドリは“復活の離陸”を開始した。もし、陸上(営巣地)と海洋(採食域)の両環境が今後も現状で維持されてアホウドリ集団が順調に増加すると仮定すれば、鳥島集団の繁殖つがい数は、2005年に約300組を超え(約200羽のひなが巣立ち)、2008年ころ400組、2010年には約500組、2020年には約1000組になると予測される。

 そして、尖閣諸島の集団は、鳥島集団の個体数増加カーブを20〜25年遅れて、たどることになると考えられ、繁殖つがい数は、2005年に約50組、2010年には約75組、2015年には100組、2020年には150組を超すと推測される。

 鳥島や尖閣諸島のほかでは、2000-01年のシーズンに、北西ハワイ諸島のミッドウェー環礁に、鳥島で生まれた4歳(新加入)、8歳(新加入)、13歳、14歳、19歳の5個体が訪れた。それらの潜在的繁殖能力を無駄にしないように、2000年11月から、アメリカ連邦政府魚類野生生物局ミッドウェー環礁国立野生生物保護区事務所は「デコイ作戦」を開始した(これには2000年、「アホウドリ基金」や「オーシャニック・ワイルドライフ・ソサエティ」、積水ハウス梅田オペレーションズ株式会社が協力した)。

 また、上記の2羽の新加入を除けば、新つがいの形成という具体的な成果は得られていないが、鳥島から巣立つひなの数が増え、それにつれてミッドウェー島に移入する個体が増えれば、いずれここに新しいコロニーができる可能性がある。

 さらに、2000-01年繁殖期には、小笠原諸島聟島列島の嫁島でも1羽のアホウドリが観察された(「小笠原諸島でアホウドリが“営巣”」という報道がなされたが、東京都小笠原支庁自然公園係によって収集されたさまざまな観察結果から判断すると、繁殖の積極的証拠がなく、これは私の判断では「誤報」だと考えられる。孵化しなかった卵の大きさやその他の状況証拠から判断して、クロアシアホウドリの放棄卵を抱いていた可能性が高い。あるいは、その卵を乗っ取ったことも考えられる)。

 このように、アホウドリの個体数の増加にともない、繁殖地の島以外にもアホウドリが訪れるようになった。これを、かれらの繁殖分布拡大の傾向とみなしても間違いではないだろう。

 アホウドリ再発見50周年の年に、私たちはかれらの復活への離陸を目のあたりにしている。かれらの助走をもう少し後押しすれば、20年後には目標の5000羽を超え、アホウドリたちは完全復活を成し遂げるにちがいない。そのことに積極的に関わってきた私たちは、それを大いに喜び、素直に誇りとしよう!

 10年前に立てた鳥島集団についての「予測」のうち、

でした。つまり、「ほぼ的中」したと言えます。

 また、尖閣諸島集団の繁殖状況は、最近、上陸調査が行われていないので不明ですが、この予想をした直後の2002年2月と5月に行なった調査で33羽のひなを確認し、2001-02繁殖期の繁殖つがい数を50〜55組と推定しました。かりに鳥島集団と同じ成長率(年率7.55%)で個体数が増えているとすれば、当時から9年を経過している現在、繁殖集団は約1.9倍に増えているはずで、繁殖つがい数は約100組(95〜105組、総個体数は500羽余り(500〜550羽)と推測されます。尖閣諸島集団は、当時の予想よりも早く回復していると考えられます。

 ミッドウェー環礁でのアホウドリのひなの誕生は、2001年の予想の「的中」を示します。この環礁にアホウドリの新しい繁殖集団が確立するまでにはさらに紆余曲折を経るはずですが、うまく行けば半世紀後に数十組が繁殖するようになるかもしれません(ただ、将来、数千羽の大集団に成長することは不可能でしょう)。

 最後に、小笠原諸島聟島列島のアホウドリについて現状を報告します。2001年当時、鳥島からひなを移動して、小笠原諸島に第3繁殖地を形成する構想は具体化していませんでした。しかし、2002年8月に鳥島で火山が63年ぶりに小噴火を起こし、火山噴火の危険性が現実になりました(2000年には三宅島で大規模な噴火が起こった!)。そのため、小笠原移住構想は2002年11月の「アホウドリ再生チーム」の第1回会合(START 1)で活発な議論となり、2004年5月の第2回会合(START 2)で具体案となり、さらに2004年8月に実施計画(START 3)としてまとめられました。そして、2006年から2年間の事前準備とリハーサルを経て、山階鳥類研究所によって、2008年からひなの移動と野外飼育が始められ、2008年に10羽、2009年15羽、2010年15羽のひなが聟島から巣立ち、今シーズンも15羽が鳥島から運ばれて、人の手で飼育されています(このひなの移動と飼育は2012年まで継続される)。

 2011年のひなの移動・飼育開始の直後の2月10日、聟島で2008年にそこから巣立った10羽のうちの1羽が戻ってきたことが確認されました(2011年2月11日、各紙報道)。また、もう1羽が鳥島の従来コロニーに帰ってきたことが観察されました(山階鳥類研究所による)。最初の年には孵化後約40日齢のひなを移動したので、その一部はすでに鳥島を出生地として刷り込まれていたのかもしれません。2年目からは、出生地を刷り込まれてはいない、孵化後約30日齢のひなを移動したので、今後、ほとんどすべてのひなは移動先の聟島に帰ってくるにちがいありません。

 現在、最初の年(2008年)に巣立った10個体のうち7〜8個体が生存していると推測され、3歳では生存個体の約半数が繁殖地に戻ってくるので(鳥島での観察による)、今シーズン中にあと1〜2個体が聟島で観察される可能性があります。また、来年(2012年)には聟島から1年目に巣立った鳥が約6個体、2年目の鳥が約6個体、合計12個体が観察され、再来年(2013年)には、1年目6個体、2年目11個体、3年目6個体、合計23個体が観察される可能性があります。

 聟島に戻ってくる個体数が多くなる2013年、2014年ころから、それらの鳥たちの求愛行動が盛んになり、2〜3年間をかけてつがいが形成されると考えれば、最も早くて2016年ころ、最初の1組のつがいが産卵する可能性があります。さらに2018年(〜2020年)ころには複数のつがいが繁殖するようになるでしょう。そのころ、鳥島集団の繁殖つがい数は約850(〜1000)組、総個体数は約5000(〜6000)羽となり、それらの個体のなかには小笠原諸島聟島に自発的に移住する個体も現れるでしょう。そうすれば、聟島集団の成長が速まる可能性があり、聟島生まれの個体(第二世代)が繁殖を開始する年も早まるにちがいありません(早くて2020年代の末)。