掲載:2003年2月15日
2002年 11月20日から12月7日にかけて、第82回目の伊豆諸島鳥島アホウドリ繁殖状況調査を行った。私にとって、これは27年目のシーズンとなった。
11月20日に最終便の飛行機にで八丈島に着いたが、鳥島への出帆を予定してた11月22日から3日間、前線が南に停滞して強い北東風が吹き込み、さらに24日から25日にかけて台風25号(965hPa、最大風速35m/s)が小笠原諸島と鳥島の中間を北東に進み、そのあとは台風から変わった温帯低気圧に大陸の高気圧から西風が吹き込み、海は時化(しけ)続きだった(八丈島の波高は4-7mで、強風波浪注意報が出されていた)。
そのため、海が凪いできた29日にようやく八丈島を発ち、30日に鳥島に上陸した。その日の午後、月夜山を経由して燕崎に出かけた。翌12月1日にも燕崎に出かけたが、昼前に雨となったため調査を切り上げた。夜半には本州南沿岸を通過した低気圧に伴う前線が時化て、12月2、3日は高気圧に覆われて晴天となった。この3日間に集中的に調査して、産卵数を確定した。
続いて12月4日は本州南南岸を低気圧が通過して海はまたもや時化て、5日までうねりが残った。結局、12月6日の早朝に鳥島を離れて船に戻り、すぐに北上した。八丈島には7日の午後1時すぎに帰帆し、その日の昼前に八丈島を飛行機で発ち、午後15時前に大学に帰還した。
このように、昨年末は前線が鳥島付近に停滞したり、台風が接近したり、移動性高気圧と温帯低気圧が2-3日おきに通貨したりして、大陸の高気圧が張り出し始める例年の気象とはかなり異なった。そのため、あわせて17日間を要したにもかかわらず、鳥島で実際に調査することができたのはわずか3日間に過ぎなかった。
無人島での調査は、このようにとても非効率である。しかし、調査結果はアホウドリが確実に復活に向かっていることを示し、さまざまな苦労を吹き飛ばしてくれた。
2002年8月11日に、鳥島は突如噴火した。しかし、気象庁・海上保安庁の観測によると、火山活動は9月上旬には沈静化し、まもなく終息した。幸い、今回の噴火は小規模にとどまり、懸念された三宅島ような大噴火とはならなかった。
鳥島に上陸した最初の11月30日に、外輪山の南側をまわって月夜山側から燕崎(=南東端に位置)に行き、復路は東側のルートをとって旭山と硫黄山(中央河口丘)の間をぬけて北側のカルデラに下り、西端の初寝崎のベースキャンプに戻った。
旧火口の南側に小さな新火口が形成されていた。そこから火山ガスや水蒸気を噴出していたが、その量は従来よりいくぶん多い程度であった。中央火口丘の西側から南側にかけて、同様に以前よりいくらか多くガスが墳気していた。そのため、一帯の山肌は硫黄で白っぽくなっていた。ときどきガス臭がしたが、呼吸が苦しくなることはなかった。
観察した限り、噴出した火山灰の量はごく少量で、噴石もほとんど落下してはいなかった。そして、鳥島頂上付近の景観もほとんど変化してはいなかった。
歩きながら植物の生育状況を観察した。外輪山の南西部の斜面には以前からハチジョウススキ郡が見られたが、ここでは枯死した株は発見されず、例年とまったく変わってはいなかった。また、北側のカルデラ底には以前からススキの株が散在していたが、そこでも枯死したり、焼けたりした株は認められなかった。それどころか、中には穂をつけているものもあった。
さらに、外輪山の北側の斜面に生息しているイソギクやラセイタソウ、マルバキグミなども噴火による被害はほとんど認められず、イソギクは開花の最中だった。
こうした観察結果を総合すると、今回の噴火は極めて小規模で、鳥島の生態系への影響はほとんどなかったと判断することができる。