◎入選一席 理学部生物学科4年 古澤佳奈
「インディヴィジュアル・プロジェクション」阿部和重著 新潮社 1997 阿部和重の「インディヴィジュアル・プロジェクション」(以下『IP』と略す)の主 人公・映写技師のオヌマには熱烈なファンがいる。――名前は仮にKとしておく。 K嬢は叶わぬ思いに身を焦がしていたわけなのだが、それだけでは飽き足らなくなっ てしまったらしい。ついに、架空の人物にラヴレターを書く、という芸当をやってのけ てしまった。そして、その問題の「ラヴレター」というのは現在私の手許にあり、内容 は以下に示す通りである――。 親愛なるオヌマ様―― はじめまして。私は東京都内に住む大学生です。「IP」を最初に書店で見た時、裏表 紙に書かれていた「スパイ私塾訓練生の過去を持つ主人公」や「映画フィルムに仕掛け られた暗号」といった言葉から、ハードボイルドな推理小説だと勝手に思い込んで、そ の場で買って帰ったのです。 ところが私の予想に反して、実際の「IP」は読み解くのにちょっと苦労してしまうよ うな、手強い現代文学作品でした。 劇中で重要な意味を持つかのように振舞っていたいくつもの「謎」は、そのほとんど が解決されないまま置き去りにされてしまいます。それにも関わらず、私は「IP」をと ても楽しんで読むことができました。物語の設定――圧縮爆破加工を施されたプルトニ ウムをめぐる騒動と、それに巻き込まれる主人公オヌマと彼のスパイ訓練生時代の同志 達の心理戦――が好みのものだった、ということもあります。でも、そんなことよりも 小説の中で描かれるキャラクター達の造型と、世界認識の特異さに私自身がすっかり参 っていた、というのが最大の理由でしょう。 おもしろいことに、「IP」にはオヌマさんだけでなく、すべての登場人物の容姿に対 する記述がほとんどありません。まるで、肉体を持たずに精神だけで生きているとでも 言っているかのように。 ところがその肝心の精神=人格ですから、「IP」の世界では捉えどころのない、極め て頼りのないものとして描かれています。 その最たる例がオヌマさんで、オヌマさんは世界に一人の人物であるはずなのに、その キャラクターは絶えず新しい面を見せるのです。例えば、あるときは繊細で優しい青年 であったり、別の時には極めて冷静に暴力に魅入られている男であったりと、多数のオ ヌマが同時に存在しているような気分にさせられるのです。 でも、オヌマさんがかつて所属していた、スパイ養成私塾「高踏塾」の塾長・マサキ によると、こんな多重人格状態は「多数の意識を同時に始動させている、スパイとして は完全な状態」なのだそうです。5年間に渡る訓練の成果が見事に発揮されていると言 えるのかもしれませんが、そのせいでオヌマさんは物語の後半部で、ちょっとした混乱 状態に陥ってしまいます。元同志にして、一連の騒動の黒幕と思われるイノウエと自分 が同一人物である、と思い込んでしまうのです。普通の人には信じられない心境なので しょうが、「IP」の作品世界の中では、ある意味で予測されていた成り行きとも言える のです。 事件のキーパーソンであるイノウエの発言は二転三転し、それに伴って、オヌマさん とイノウエの事件に対する認識にもずれが生じてきます。例えば、映画フィルムに隠さ れていたという暗号も、結局解かれることはなく、むしろ、そんな「暗号」がはじめか ら存在していたのかどうかが問題になっていくのです。 一人のオヌマが、実はその内部に多数の別人格を抱えているように、たった一つのも のであると考えられていた世界には、そこに生きる人の捉え方の数だけの「顔」が存在 していたというわけです。――現実はもともと錯乱していて、確かだと思っていたもの は揺らいでいます。かねてから自分の「一部」を見出していた相手と、自分自身との区 別がつかなくなってしまっても、ちっとも不思議はありません。 その発言とは裏腹に、揺らぎのない自分を持っている、唯一とも言える人物はマサキ です。彼は多重人格どころか、見事に統合された人格の持ち主だと思います。掲げてい るのは間違いなく危険思想なのですが、発想・行動共に一貫性があり、何より迷いがあ りません。多数化し分裂してしまった「自分」と「世界」に、心のどこかで嫌気がさし 始めているオヌマさんにとって、マサキが自分の身内に手を出した、許し難い男だとし ても、やはり「魅力的な謎」だったというのはうなずける話です。 マサキの獄中での死を確認した時に、オヌマさんが流した涙には、単にマサキの死と 高踏塾の終わりを悲しんだだけではない、別の意味もあったような気がします。マサキ と高踏塾は、オヌマさん達塾生にとって特別な意味を持っていました。強烈な個性を放 つマサキに従って、一つの目的の為に行動するということで、閉塞した現実から目をそ らすことができたし、何よりも仲間との一体感を味わうこともできました。 実際には、多数化した自分が、誰かと完全に同じ時間・同じ感覚を共有するなんてこ とは出来ない話なのです。マサキの理想である「多数の人格を持ち、それを制御する」 ということは、「他人の中に自分の一部を見る」ということにつながり、劇中には頻繁 に「みんなわたしである」という言葉が登場します。しかし、それは他者に共感すると いうことではありません。むしろ他人はあくまで観察すべき現象であり、オヌマさんも イノウエも(恐らくはマサキも)「みんなわたし」で「わたしは誰でもない」という孤 独を、生まれつき抱えているのです。「分裂」と「孤独」をすすめていたはずの高踏塾 は、逆に孤独からの避難所となっていました。オヌマさんの涙は、心のよりどころを失 い、今度はたった一人で非情な世界へ身を投じなければならない、という覚悟の涙でも あったような気がするのです。 「IP」には悲劇的なところは微塵もないのですが、私には物語の途中から、オヌマさん がこの先もずっと一人で生きていくつもりなのかな、とそんなことばかりが気になって いました。……それではあまりにも淋しすぎると思って。 ですから、アヤコさんの存在には安心させられました。人が多い場所では絶えず周囲 を見渡しながら生きていたオヌマさんが、「アヤコと一緒にいるときは彼女だけしか見 ない」ようになるのですから。確実に変化が起きているわけです。 でも、これって果たして本当の意味でのハッピーエンドなのでしょうか?オヌマさん は多分、生まれついてのスパイで、アヤコさんと付き合うということは、そんな自分の 本質に目をつむってしまうということになります。本能的に自分の多重人格性に気付い ていて、日常と錯乱のギリギリのところを歩いていたオヌマさんの持つ、剃刀みたいな 鋭さに私が惹かれていたというのも事実でしたから。 こんなことも今となってはどうでもいいことです。架空の人物との恋愛なんて、初め から失恋を約束されているようなものなのですから。それよりも、オヌマさんのこれか らのことが気になります。自らのスパイ性を否定しながら、果たして今だにスパイであ り続けるイノウエと、どう対決するつもりなのか…。 とにかく、お体には気をつけてください。さようなら――。 K・F 以上がK嬢のラヴレターの全文である。いい気分でいるところに水をさすようで申し 訳ないのだが、K嬢は大切なことを忘れてしまっている。「IP」には本編の後に「感想」 が添えられているのだ。 この「感想」を書いたのは恐らくマサキなのだろう。マサキは死んでなどいなかった のだ。ということは、今までオヌマによって語られてきたことは、全て彼の作り出した フィクションに過ぎなかったという可能性も考えられる。…いや、それよりもオヌマと いう人物自身の存在の真偽のほうが問題となってくる。 読者は「IP」を読み終えた時点で、すでに作者の術中にはまっている。「IP」という 小説は、あの正体を確かめられないままプルトニウム爆弾として世界中を渡り歩いてき た、プラスチックボールのように永遠の謎を含んだまま、読者の間をやりとりされてい くのだ――。「どこでもない場所に立って、情報の渦のなかで戸惑っている」登場人物 たちは、「個人的な投影」という意味のタイトルが示すとおり、まぎれもなく読者自身 の分身だ。この小説に書かれているのは、近い将来に我々が必ず経験するであろう、「 みんなわたし」という孤独に満ちた社会と自分自身との、勝負のつくことのない切実な 戦闘の記録なのだ。