『フィールドワークの醍醐味』 東邦大学医学部生物学研究室 杉森賢司

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はじめに

地図カムチャッカ半島は、日本から千島列島を経て北へ約1500Km、比較的近くに位置しています。しかし、旧ソビエト連邦が解体するまでは、極東軍事の要として、外国人はもちろんのこと、自国民も自由に行き来できない、他から隔離された場所でした。大韓航空機の撃墜事件はまだ皆様の記憶に新しいところだと思います。
1991年のソ連解体と共に東西の緊張が緩和され、外国人の立ち入りが許可されるようになりました。ところが、昨年まではカムチャッカ州の特別なパスポートが必要で、その手続きが非常に煩雑な上、末端の役人ですら、実際に日本人をカムチャッカに入れてよいのか戸惑っていた、というのが実情でした。

州都ペトロパブロフスクカムチャッキーよりしかし、今年(1993年)はそれもなくなり、自然保護の名目で立ち入り人数を制限する為の特別パスポート($10)を現地で取得すれば、ある程度自由に行動することができるようになりました。昨年よりも多くの観光客の姿を見ることができました。

ところで私は、昨年の夏から始まった日本とロシアの火口湖及び地熱地帯の調査を目的とする共同研究チームの一員として、昨年に続き今回で2度目の極東訪問をする機会がありました。今回、本誌を通じ1ヶ月の長期にわたる様々な体験を皆様にお伝えすると共に、あまり知られていないロシア極東の自然や現状についても紹介いたします。

カムチャッカへ

ミグ!現在、カムチャッカに入る最短ルートは、新潟からアエロフロート機でハバロフスク乗り換え、ペテロパブロフスクカムチャツキー(州都)着というコースです。実際の搭乗時間は4時間半ですが、国内線は航空機燃料切れが頻繁におこり、スケジュール通りには飛ばないため、いつ目的地に到着するかわかりません。4〜5時間待ちは当り前です。それでも8月2日に日本を立った我々は、3日の真夜中にカムチャッカに到着しました。

我々の調査旅行の拠点は、空港からは30Km、州都からは60Km離れた温泉療養地のパラトゥンカというところです。そこは木々の緑と草花に囲まれ、周辺の川には鮭の泳ぐ姿が見られるといった自然環境の真中に位置します。しかし、敷地の隣は原子力潜水艦の基地で、シークレッドゾーンとなっているのが対照的でした。

最初の目的地:Mutnovsky Volcanoへ

 ムツノフスキーの熱水を採取数日後、第一の目的地であるMutnovsky Volcano(南に約40Km離れている)に軍用トラックで出かけました。我々を載せたトラックは快適に走りだしましたが、しばらくすると道がなくなり、大自然の真中の道なき道を右に傾き左に傾きながら走ること4時間、やっとの思いでベースキャンに到着しました。トラックの荷台に座る場所が作られていますが、そのようなものはあってもなくても同じで(放り出されてしまうので)、床に這っている方が乗り心地が良かったほどでした。

巨大クレパスさて、そこでの仕事は亜硫酸ガスが立ちこめている河口付近の熱水を採取することです。 仕事場までは片道3時間ほどの山道で、途中からはクレバスが口を開けている雪渓を登らなくてはなりません。温かかったのでクレバスの口が日増しに広がっていくのは、あまり良い気持ちではありませんでした。

また、現地では明るい時間が長い(7時から22時位まで)ので午後9時過ぎまで仕事をして、その後でやっと食事をするという辛い毎日でした。しかし、そのような辛い事を忘れさせてくれたのは、ベースキャンプの周囲に自生するブルーベリー等の豊富な野草のつまみ食いと、夜空の満天の星を眺めることでした。これぞフィールドワークの醍醐味であります。

数日後、Mutnovsky Volcanoでの仕事を終えた我々のトラックは、荷台を人と荷で満載にし、休息と次の準備のためにパラトゥンカへと戻りました。

第二の目的地:Maly Semiachik Volcano Crater Lakeへ

ヘリコプター準備と休息の合間には、都市周辺部での調査も行ないました。それらを終了した我々は、天候の回復を(4日間)待って、やっと飛び立つことが出来たヘリコプターで、第二の目的地であるMaly Semiachik Volcano Crater Lake(北に約100Km)に向かいました。

マリーセミアチーク火山火山湖途中、別のキャンプ地(Karymtuky Crater)に立ち寄り、人と物資を下したヘリコプターは、更に20Km離れたMaly Semiachik Volcano Crater Lakeへと向かいました。山頂付近は雲が出ていて着陸できるかどうか、微妙な状態でした。着陸できない場合は、重い実験器具を麓から担ぎ上げなくてはなりません。

そのようなことが頭をよぎり、気は重くなり、何とか着陸して欲しいと願いつつ、機関士の後ろから山体を眺めていると、近づくにつれ山は思ったより雲が薄いのに気がつきました。”これはしめたぞ”と心の中で思い、操縦席の方に見を乗り出して見ると、やっとの思いで飛行ルートを決断したヘリコプターは、ふわりと目的のクレータに着陸しました。

ローターを回したまま、機体後部から急いで物資を下したヘリコプターは、慌ただしく立ち去ってしまい、今までの金属音が嘘のように、そこは静寂な世界へと変わりました。ヘリコプターが立ち去った直後には霧が出て、雨になったことは、幸運としか言いようがありませんでした。

寝起きはテントで、食事等は6畳位の広さがある鉄製の小屋でします。実を言うと、その小屋は傾斜地にあり、傾いているために慣れるまで時間がかかるという難点があります。

忘れ物を取りに…20kmを歩く

カリムスキー観測所で 翌朝、調査の準備をしていると、実験器具の一部を、昨日立ち寄ったキャンプ地に、他の荷物と一緒に下してしまったことに気付きました。慌てていると、ロシア側の責任者は何のためらいもなく”取りに行けばよい”と言いました。

かくして、彼と私はライフル銃(熊対策)を携帯し20Km離れたキャンプ地に、その実験器具を取りに行くことになったのです。
熊のふんがいたるところにある獣道を7時間弱歩いて突然訪れた我々を、キャンプ地では前日別れたばかりだと言うのに、別に驚いた様子もなく、温かい食事で迎えてくれました。

翌日にはそのキャンプで1日仕事(サンプルを採取するために歩き回っていました)を行なった結果、結局は3日かけて40数Kmmの山道を往復したこととなり、今となってはよい思い出です。

嵐と濃霧に帰路を閉ざされ…

晴れた日の火山湖度重なる落石にも直撃されず火口湖での仕事が順調に進み、帰るための片付けが終了した頃、日本を通過した台風11号の影響を受け、嵐や濃霧の日が続きました。カムチャッカに来た低気圧(台風)は停滞することが多く、この様な天気は1〜2週間続くこともあるという話で、実際に我々も迎えのヘリコプターが飛ばないため下山できません。ついに、嵐から6日目で食料もほとんどなくなり、さらにその日から降り始めた雪が追い討ちをかけ、この先どうしたらよいか考え込んでしまいました。
6日目の午後8時頃にヘリコプターが来て着陸を試みたのですが、引き返したそうです。7日目の午後4時頃にヘリコプターの音で外に出てみたところ、機体は見えず音も遠ざかっていき”だめだったのか”と皆で落胆しておりました。

発煙筒を焚いて場所を知らせるそれから30分程して、窓の外に人影が現れたのです。荷物をまとめて視界が利くところまで下りるという指示で、風雪の中、実験機材やサンプルを持って急斜面を降りました。視界が利く場所で発煙筒を焚いたところ、眼下から地を這うようにヘリコプターが飛んで来て、狭い尾根に着陸したのです。

そのパイロットは、カムチャッカのベストパイロットということで、飛行技術にはほれぼれするものがありました。特に、途中で熊を発見し見せてもらった時のテクニックには感心しました。

振り返れば…

温泉で汗を流すこのようにして我々の救出劇は無事に終わったのですが、その締めくくりとしてパイロットの提案で、途中ヘリコプターをとめて皆で温泉に入り、飛行場に帰ったことは”お国がらだな”と思いました。

ロシアの極東部は日本で考えているより物資が豊富で、生活には余り困りません。1ヶ月の生活の中で日本では味わえない『自分の内側からあふれ出てきた感動』というものを何度となく味わいました。豊かな自然の中で時間に追われない生活をしていると、日本に帰ってきて、山手線に1本乗り遅れて悔しがっている自分が情けなくなります。