『1997のフィールドワーク』  カリムスキー湖周辺の熱水群と湖の調査

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熱水のサンプリング

 流出河川の脇にある熱水の流れにおいて、湧出口や流れの主要部分で現地データー(温度やpH 等)を測定し、さらに藻類・沈殿物・熱水のサンプリング等を行いました。私がこの流れの中で最も興味を抱いたのが、58℃と60℃といったわずか2℃の違いによって、そこに生息する好熱性の藻類の種類が、まるで線を引いたかのように異なることが色の違いで観察できたことでした。また、その熱水の周囲は一面火山灰に覆われ、草木が一本も生えていない土地であるのに、その熱水の流れだけに生命体が見られた事は、水というものが生命にとっていかに大切なものかを改めて考えさせたれた事実でした。  

 茶筒状のクレーター 地球上に生命が創世された頃、最初の生命体は熱水の海の中で誕生したとされています。それは熱水噴出口や隕石からもたらされた材料が有機物・高分子になり、生命の元となるアミノ酸やヌクレオチドが出来たとされる化学進化が起きたわけですが、熱や圧がある深海底で生命の元が出来たとされるこの様な説は、実験などで証明されています。また、温泉等の過酷な環境に生息する生命体は最初の生命に共通する部分があるという事実からも、熱水と生命は切り放せないものなのであろうと思われます。  

対岸でひといき 私の熱水サンプルの採取が終わり、次にセルゲイ氏の研究に使用する湖水のサンプリングや測深を行いました。風が強いと一定の速度で双胴船(カタマラン)を漕ぐのが難しく、風がなく湖面が静かな日を選びこの仕事を行いました。動力は4名のヒトで、確か3時間くらい漕ぎっぱなしで、対岸に着いた頃には体が固まってしまって動かず、腕も棒のようになっていて、他のどんな仕事より疲れたことしか記憶に残っていません。一定の速度で対岸にある目印に向かって漕ぐ役目を仰せつかっていましたが、約3kmの距離を一定のリズムで漕ぐのは大変でした。また、湖上は冷えるので、ボート上でのトイレにも大変苦労しました。湖面水や深さ方向のサンプリング、水温やpH 、電気伝導度などを測定し、さらに湖の一部となった新しいクレーターに関しても同様な調査を行いました。  

お客様 この様な大変な仕事が続き、疲れはてることもしばしばありましたが、時折我々のキャンプに疲れを癒しにかわいらしいお客様がいらしてくれます。あまり人を恐れる素振りも見せず近づいて来てみせる愛くるしい表情に大変心がなごみました。  

 途中天候が悪くなり雨風が強く何もできない日もありましたが、無事に予定していた仕事を終了する事が出来たので一安心しました。無事に仕事が終わった日の晩に発煙筒を花火代わりにして2発ほど点火しました。
  本当はやってはいけないのですが、周りに人もいないことや他のキャンプから見えないので予定していたことが終了した証として"花火"をあげて祝った次第です。

 ところで、途中数々のアクシデントがありましたが、その中でも一番大きな出来事は、隣のキャンプの一人が高熱を出し数日熱が下がらなかった事でした。
  私が持っていた解熱剤や抗生物質でも様態が回復せず、私たちのキャンプから無線で街へ連絡を取ったところ運良くヘリコプターをつかまえることが出来、キャンプを撤収し帰ることにしたのです。折角遠くから調査に来たのに、仕事半ばで帰らなくてはならぬ無念さと辛さでそのキャンプは静まり返っていましたが、我々もその気持ちは痛い程わかりますので、何か元気が出る食べ物をと思い、作って差し入れてました。
  この事によって彼らに笑顔が戻ってお礼を言われた時には我々もほっとしました。久しぶりにヘリコプターが近くまで来ましたが、ちょうど調査に出向く途中だったので彼らを見送ることは出来ませんでした。

カリムスキーからの撤収

若者たちとの語らい 夕食を済ませ寝るまでの数時間は若者中心の時間で、語らいつつ歌い、我々も仲間に入りとても楽しい時間を過ごしました。カリムスキー山のシルエットや湖の静寂、時折感じる火山噴火の音等がとても良い雰囲気をかもし出していました。若者の中に今回の主役であるセルゲイ氏の長男(当時モスクワ大学在学中)が参加していました。親子でこの様な所で共同生活が出来るのは大変うらやましいことで、いつか子供さえよければこの様な経験をさせたいな、と私はその時心底思いました。  

 W氏もそれなりにエンジョイしていて、困った事も沢山あったのでしょうが、ひとつも苦にせずフィールド生活を楽しんでいましたが、どうもテントが狭かったらしく一度寝ている時に足が入り口から出てしまい風邪を引きかけたことがあったそうです。

 カリムスキー湖畔に我々も約2週間滞在しましたが、キャンプを撤収する時間が迫ってきました。ヘリコプターが立ち寄ってくれるという事になり、荷物を整理し、テントをたたみ、ヘリコプターが迎えに来る例のヘリポートまで荷物を運びました。ヘリコプターを待っている間、戸板に横になり日光浴をしながら久々にくつろぎました。そのうちかすかにヘリコプターの音がし、湖の対岸から湖面と平行に低空でこちらに向かって飛んで来るのが確認できました。点であったのがどんどん大きくなり、我々の方に向かって来るのですが、爆風から荷物が飛ばない様に押さえるために腹這いになっているわずか数mの所に、来た時と同じようにヘリコプターはランディングしました。結構我々はスリルを感じていましたが、ロシアの飛行機を操る人々は本当に上手です。そのテクニックにはいつもほれぼれしてしまいます。

そして帰国の途へ

 街に戻った我々はセルゲイ氏の実験室を借りて採取した湖水の濾過作業を手伝いました。微生物による水質の化学成分の変化を無くすため、微生物を除去する必要性があるからです。そこに着飾った先生や学生たちが集まって来てくれて、皆で別れを惜しみました。

 その後いつもの様に簡単なお別れパーティーをしてくれました。
 カムチャツカからの帰りの飛行機では別のフィールド調査をしてきたチュダエフ氏と共同研究者のブリティッシュ地質調査所のポール氏とも一緒になりました。白人のポール氏は皮膚が真っ赤に日焼けし、火傷の一歩手前の状態で大変に辛そうでした。でもとても楽しいフィールド調査で、成果も上がったと話しておられました。

 チュダエフ氏はポール氏の面倒を見るということで、我々は来たときと同じくウラジヴォストクではギオルギ氏のお宅にお世話になりました。どこに行ってもとても温かく十分すぎる程よくして戴き感謝感謝です。 

W氏も大変満足し帰国しましたが、ウラジヴォストクから新潟までのフライトでは気流が悪く、途中から機内サービスが始まったので、もう着陸だというのにまだ食べかけの機内食が目の前に出ている有様でした。

 さらにワゴンを片手にした客室乗務員のお姉さまたちがもう一方の手でシートの背をつかんだままの状態で飛行機が新潟空港に着陸するといったアクシデント?を目の当たりにし、最後の最後まで"ロシア"を満喫させてくれた今回のフィールドワークでした。

追記:W氏、H氏のその後

がんばりやさんで素直なW氏はその後国立の研究所に就職が決まり実験・研究に忙しい日々を送っているそうです。H氏は益々カムチャッカが好きになってしまった様で、次は・・・などと計画を練っているみたいです。

 

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