『1997のフィールドワーク』  カリムスキー湖周辺の熱水群と湖の調査

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カムチャツカへ

仲間たち チュダエフ氏もイギリス地質調査所のポール(Poal )氏との共同研究でカムチャツカのフィールドに出向く直前で、彼の面倒を見ていた関係上、今回ギオルギ氏の家に一泊ごやっかいになり、翌朝カムチャツカへと旅立ちました。

 カムチャツカへはウラジヴォストクから空路約3時間です。
 カムチャツカに近づくにつれ山頂が尖った富士山型の山が見え、さらにアヴァーチャ湾の上空から街並みがきれいに見えてきて、何か心の故郷に帰ってきたような懐かしさがこみ上げてきました。
  私にとっては3年ぶりのカムチャツカでしたが、空港は何も変わっておらず以前と同じく犬が広々とした空港を走り回っていました。

 セルゲイ(Sergey)氏とその友人が迎えに出て下さっていて、久々のセルゲイ氏との再会に心を躍らせながら彼らの車に荷物を詰め、市の中心部へと向かいました。
  部屋の都合上、W氏とH氏はホテル・ペドロパヴロフスクに宿をとり、私はセルゲイ氏の家にやっかいになることになりました。

木造の教会 W氏とH氏には初めてのカムチャツカということもあり、歓迎の意味を込めセルゲイ氏は次の日から様々な楽しい企画をたてて下さいました。
  州都ペトロパブロフスク・カムチャツキーより片道500km、カムチャツカ半島中央部のラゾ(Lazo)という小さな町にある木造の教会を日帰りで見に行った途中、蚊やアブの襲撃を受けながら草花が咲き乱れる小川のふちで昼食をとった事や、アバーチャ湾を10m位のヨットで横断した時、天候が一転し大風が吹き、斜めに走るヨットでの大変なクルージングをした事等がありました。

レーニン広場 軍の記念日に旧市街を訪れましたが、冷戦時代では考えられなかった事ですが、外国人に対しても様々な軍の車両が公開され、食べ物屋の屋台も出て、沢山の市民でレーニン広場は賑わっていました。
  お祭りを見て歴史博物館を見学した後、眺めの良い丘の上から旧市街と新市街を眺めた時、遠くに雪をいただいているアヴァチェンスキー山とコリヤークスキー山を望むことが出来、この様なまるで絵に画いたような景色を眺めているだけでも満足でしたが、眼下に雲が滑り込むようにかかって来てその何とも言えない幻想的な風景を見たときには感無量でした。

散歩 またある時はセルゲイ氏の奥様やご近所の奥様たちが天気がよいので"散歩"に行く、というのでついて行った事等、日本では体験出来ない多くの経験をさせて頂きました。この"散歩"に関しては、どうも犬の散歩もかねていたという事も後で知ったのですが、これは日本の感覚でいう"散歩"とは程遠く、確か4〜5時間程度自然の中を歩き続けていた事を記憶しています。

 こう書いていると我々はなにか遊んでばかりいるように思われますが、我々がフィールドへ行こうとする時、ヘリコプターを特別にチャーターすると大変な金額になるので、私たちの目的地周辺へ行くヘリコプターに安い料金で便乗させてもらいます。
  この様なことからこちらの都合ばかりを言ってはいられないのが現状です。いつもフィールドに行く時にはある程度制約され丁度良い条件のヘリコプターを待っているので、いつも準備をしながら数日間はこの様なことをして過ごす次第です。

 研究の拠点となるロシア科学アカデミー火山研究所は4+1(屋上にある通信施設?)階建ての建物で、地質学、地球化学、地殻化学や地震学等の研究者が集まっているところです。市内のはずれに位置しており相当広い敷地を有しています。
  セルゲイ氏の親分であるカルポフ(Karpov)氏はいつ会っても満面の笑みで迎えてくれ、彼の気持ちが伝わってくるような力強い握手と体に似合わない大きなジェスチャーは忘れることが出来ません。

ヘリコプターにて

ヘリコプター  数日後、ガイザーヴァレイ、ウゾンカルデラ行きの観光ヘリコプターが、途中カリムスキー湖のベースキャンプに立ち寄ってくれると言う連絡があり、遅い朝食を済ませた我々はエリゼバの空港近くのヘリポートへと急ぎました。セルゲイの家から車をとばして約40分の距離にあるヘリポートに到着した時には、まだ一般の乗客の姿は無く閑散としていました。  

 また、丁度この日はガイザーヴァレイに行くヘリコプターも出ると言う事で、H氏は通訳のオリガさんと共にこのヘリコプターに特別に乗せてもらい観光?が出来ることになった模様です。帰国後に聞いた話によるとH氏のヘリコプター・ツアーは大変なもので、山小屋を建てる資材に埋もれてガイザーヴァレイに行き、ガイザーヴァレイで資材を降ろしたヘリコプターは鉄クズを積み、それをどこかに捨てに行ったのだそうです。

 原野の中に鉄クズを捨て空になった状態で、半島西海岸の漁港にそのヘリコプターは降りたそうです。そこにしばらく停まっている様子で、ロシア人の漁師にどうも強制的に小屋に連れられて行かれたらしいのですが、いったい何が起こるのかと思った時、粗末な小屋の中にはあふれんばかりのイクラがあり、ウオッカと黒パン・バター付きで、腹いっぱい食(く)って行けと言うことだったそうです。
  もちろん招待したので金などいらないと言って、見ず知らずの異国のじいさんに非常に温かくして下さったと、H氏は大変感激して帰ってきましたが、ただ一言、白い温かいご飯があったらもっと良かったのに・・・と贅沢を言っていました。  

 いつもフィールドへ行くのに利用するのは器材を積み込むヘリコプターで、軍の払い下げのようなベンチシートで、シートベルトも不完全のようなヘリコプターばかりに乗っていました。しかし、今回は2人用のきちんとした座席が進行方向を向いて2列並んでいる観光用ヘリコプターでした。出発時間が近づいたのか車で続々と乗客が集まって来て、約40席は満席になりました。乗客はわれわれ以外は全てロシア人だったのですが、このツアーの価格は決して安いものではないので、ある程度高額な料金を払って観光が出来る高額所得者が増えて来ている事を感じました。

 セルゲイ氏、W氏、杉森とガイザーヴァレイ・ウゾンカルデラ観光ツアー御一行様を乗せたヘリコプターは、ヘリポートを飛び立ち隣接するエリゼバ空港の滑走路を横切って一路カリムスキー湖を目指しました。そして機内ではパンフレットを配り観光案内が始まったではありませんか!!今までない経験にびっくりしながら、カムチャツカの大地を眼下に一時間程経った頃にカリムスキー湖のカルデラのエッジを越したヘリコプターはきれいなブルーの湖水をたたえるカリムスキー湖の上空へと達しました。

上空より 美しい湖面を眼下に眺めながら我々のキャンプ地に近い平地にヘリコプターはランディングしました。
  問題は特別に立ち寄ってもらった関係上、ローターを回したまま我々と荷物が降りるはめになった事です。我々は想像を絶する強風の中、荷物が風で飛ばないようにはいつくばって荷を必死に押さえていました。

 その時、上目使いでふと見上げた丸窓から観光ツアー御一行様がビデオやカメラをこちらに向けていました。そうです!我々は彼らの格好な被写体になっていたのです。ヘリコプターはそのものすごい爆音が遠ざかるとともに、すーっとカリムスキー火山の方向に飛び去って行きました。静寂が戻り、先にキャンプを設営していて下さった学生達が我々を迎えに来てくれました。
 ヘリポートと言っても草むらの四隅に旗を立てたものから、数十mの所にあるキャンプまで荷物を運んで下さり、我々はやっと来られたと一安心したのもつかの間、数日前までこの近辺をクマがうろついていたという事を聞いて、再び気を引き締めて行動しなくては・・・と思ったのでした。  

キャンプ地にて

 一通りメンバーの紹介を受けた我々は、ひとまず自分のテントに入り荷物の整理を始めたのですが、フィールドに行く前に男女の区別なく皆同じテントになる可能性がある、と話したW氏には小さいながらも"個室"が与えられ、大喜びをしていました。

 キャンプ地は湖底噴火をしたクレーターの対岸に位置し、カリムスキー湖を隔ててカリムスキー火山を望む地にあります。直線で火山までは7〜8kmあるそうです。5分から数10分間隔で噴火が起き自然の雄大さを目の当たりにしたのですが、日本でしたら危険地区に指定され立入禁止となり、この様な風景は身近に見ることが出来ないと思われます。

 夏のカムチャツカでは日没が10時30分頃で、暗くなるのが11時30分過ぎと大変遅い時間ですが、この頃になると、夕焼けとその向こうの富士山型のカリムスキー火山のシルエットと噴煙とが相まって、昼間とはまた趣が変わったすばらしい景色を見ることが出来ます。
  薪で沸かしているためにいぶし臭くなった湯で入れた紅茶をすすりながら眺めるカリムスキー火山は飽きることがなく、日本ではとうてい味わうことが出来ない夕食の後の華麗なひとときを毎晩過ごしていたのですが、蚊が多い事(それも日本と違った強力なロシアの蚊)を除けば、これほどの贅沢は味わえないと思っています。  

 フィールドワークでは体力勝負の仕事が待っているので、天気に恵まれた翌日は、湖やその周辺の偵察と体慣らしのために"湖一周旅行"が企画されました。

W氏と逆さカリムスキー火山 私、W氏、そしてロシア人科学者のタマラ(Tamara)女氏は時計回りで"湖一周旅行"に出かけました。歩き易い場所でしたが、途中足をかける場所が無く急な岩場が有ったので、山の方向へと迂回しながら歩いたため、われわれ3名は徐々に高い場所へと行ってしまい、さらに悪いことにはブッシュに入ってしまったので、短い距離を行くのに本当に時間がかかってしまいました。
  この時はルートの選択を誤ってしまったらしく、この事を反省したと同時に、ルートの選択は非常に難しいと言う事を学んだ次第でした。

いよいよ本番、熱水の調査

噴煙を上げるカリムスキー 後日、この場所を通った同じグループの人は岩にはいつくばり訳なく通過したらしく、これを知った私はさらにがっくりと落ち込んでしまいました。私にとっては難所であったこの場所を通り過ぎるとすぐに"アカデミシャン"と名付けられた熱水の間欠泉や数種類の熱水のプールがあり、またその脇には湖底噴火が起きた時に新たに湧出した温泉もあり、私の興味をそそりワクワクしてしまうフィールドが何カ所もありました。ここは我々のキャンプから湖を約3分の1周したところで、そこから数キロ湖畔を歩くと丁度湖を半周した場所(キャンプの対岸になる)に出ました。
  ここが湖底噴火の場所で、近くの小高い丘に登るとどのような形をした噴火口であったかを見ることが出来ました。また噴火口のエッジの所(写真の矢印付近)に熱水が湧いており、緑色をした藻類の生息も確認されました。

熱水の流れ  さらにおもしろいことに、その熱水がある位置からカリムスキー火山に向かった直線上に大小のすり鉢型や茶筒状のクレーターが数カ所在り、そのいくつかは冷水をたたえ、また熱水が湧出しているものもありました。
  さらに湖水が流出する河川近辺には80℃近い熱水が大量に湧出し流れを作り、その100mほど下流で湖からの流出河川に合流しているのも観察されました。

 この熱水の流れは、私にとっては格好の研究対象の場であり、ここで行った生物学的調査はすでに『温泉科学』誌に報告しました(温泉科学、50; 21-33, 2000 )。  

 唯一の流出河川を横切り、キャンプへはまだ半分残っている行程を歩き出したのですが、さすがに初日から湖一周二十数キロの道のりはきつく、遠方に我々のキャンプが見えてはいるもののなかなかたどり着けず、最後の数キロは重い足を引きずりながら無言で歩いたことを覚えています。

 我々は最初から湖一周のつもりで歩いていたのですが、セルゲイ氏は足慣らし程度に歩いてくるものと思っていて、想像していたのと反対方向から帰ってきたのを見て、呆れていました。  

 本格的な熱水の調査をするために翌日は昨日と反対の方向へ歩き出し、流出河川の近くに存在した熱水の所に行きました。一度知った道は歩きやすく、昨日重い足を引きずりながら歩いた道?とは全く違った場所を歩いているように感じられ、まわりの風景も十分に楽しむことができました。
  昨日は通り過ごしてしまっていましたが、"こんな所にも熱水が沸いているのか"という場所も途中にありました。後に聞いた話によると湖の小規模な熱水の湧出は、昨日見たアカデミシャンと名付けられた間欠泉の近辺に新たに湧出した温泉と同時期に出来たもので、新しくできた断層上に、湧出したのだそうです。  

 カリムスキー火山のふもとには1992・93年とお世話になった山小屋が有り、どうもそこには噴火後から地震学者が数名滞在し、火山に関する地殻・地質学的調査をしているらしい、と言う情報が入っていました。また、我々のベースキャンプの隣には例のへリポートを隔てて、アメリカ人研究者のベースキャンプがありました。
  この付近には街もなく限られた人たちしかいないので、昨日通り過ごした小規模の熱水が湧出している付近で、反対側から歩いてくる3人が目に入った時、見慣れない人々だったのでその小屋で研究している研究者かと思っていました。そのうちのひとりはロシア人だとわかりましたが、髭面、サングラスの他の2人はどこの国の方々かわからなかったので、とりあえず英語で話しかけてしまえばいいやと思い、話の始めのあいさつはロシア語と英語でしました。
  ところが、相手側からの「日本人ですか?」と言う問かけに私は唖然としてしまいました。話を聞くと、何と北大と鹿児島大の先生方が地殻変動の国際プロジェクトチームの一員として、例の山小屋に滞在していたのでした。何て世界は狭いのだろ〜とこの時つくずく思い知らされました。(世界的にも悪いことは出来ないものです。)

 

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