33-ヒメコマツの小枝の断面

ヒメコマツ
Pinus parviflora Siebold et Zucc.
球果植物マツ目マツ科
採集地:高宕山 採集日2000年5月27日

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ヒメコマツは寒冷な時期には関東一円にも広がっていたが、温暖な気候が進行して低地では衰退してしまい、千葉県では清澄山系に取り残されたと言われてきた。氷河期の生き残りと言われてきた。かつては600本もあったヒメコマツがこの20〜30年の間に10%以下に減少してしまい、まさに絶滅が目前に迫っている。

ヒメコマツは急峻な痩尾根にへばりついて生育している。崩壊しやすい急傾斜地に生育することによって他種との競争を回避して生き伸びている。同じ所にツガとモミも生育しているが、これらはも少し生育条件の良いところに生育している。ヒメコマツは、暑い夏には水涸れで尾根筋の樹木は立ち枯れるし、マツノザイセンチュウも入り込んで枯らしている。このように、ヒメコマツの生育地はきびしい。2000年5月27日に千葉県生物学会が主催したメコマツ緊急調査会時には3時間半ほども尾根を歩き回って観察できたのは12本ほどの老木であった。10〜13mほどの木のまわりには若木は見あたらず、ようやく1〜2本の芽生えを見つけただけであった。長い間千葉県のヒメコマツの消長を見続けてきた藤平量郎先生のお話では「若木は掘り採られて持ち去られてしまった」のだそうだ。掘り採られたヒメコマツは土地の銘木「三島五葉」として盆栽に仕立てられて高価で取引されているという。ヒメコマツを絶滅に追いやっているのは地球温暖化やマツノザイセンチュウもさることながら、直接の加害者はヒトである。緊急調査会時にヒメコマツの1枝を採集してきたものを翌日の講義の時に学生達に見せ、同時に切片を作って観察したのがこの図である。直径3oあった。中央に柔組織からなる髄細胞が見える。その周辺には仮導管からなる材部がある。材の年輪から4年目を経過し、5年目に入ったことが読み取れる。わずか3o育つのに4年もかかるのである。維管束の外側は皮層で、ここには樹枝道が見られる。材の中にも樹脂道がある。切片を見たところでは、皮層の細胞はいずれも瑞々しく、樹皮もひび割れたり、はがれてはいない。健康な枝である。次の世代までも生き延びて欲しいと願っている。

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