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元東邦大学薬学部教授 佐橋紀男
 

過去40年間に見るスギ・ヒノキ花粉年次変動と患者数の推移

 日本の最初の花粉症の報告は1961年のブタクサ花粉症ですが、ブタクサ花粉症発見当時は、都市郊外には放置された荒地や河川敷が多く、キク科やイネ科などの草本雑草が生い茂り、関東中心にブタクサ花粉症は一時期流行しました。しかし、1970年代後半から1980年代前半にかけて図1のように関東などではほぼ3年周期( 1979, 1982, 1984)で スギ・ヒノキ花粉の飛散が急増し、特に都会の耳鼻科の待合室は急増した患者で溢れたほどでした。この時期にスギ花粉症は一躍国民病とまで言われましたが、東京都の疫学調査が1983〜1987年の間に都民対象に3地域で行われ、スギ花粉症の推定有病率が都民の10%と報告されました。この1980年代までの花粉症の初期に続いて1990年代に入ると図1のごとく1995年にそれまでにないスギ・ヒノキ花粉の大飛散が記録されたことから花粉症患者の疫学調査も大々的に行われ始めました。東京都も1996年に2回目の疫学調査を前回と同じ3地域で行い、都民のスギ花粉症の推定有病率が約20%にもなり、約10年前の2倍となりました。2000年代になってもスギ・ヒノキ花粉は増減を繰り返しながら増加を続け、ついに東日本大震災の起きた2011年は過去最大の飛散数が図1のように船橋市では記録されています。また東京都がさらに10年後の2006年に3回目の疫学調査を行い、都民の推定有病率は約28%にも増加しました。同時にスギ・ヒノキ花粉の増加は最近の20年間の平均飛散数が1996年以前の20年平均の飛散数の2倍以上にも増加していることが図1のグラフからも明らかとなりました。東京都はさらに4回目の疫学調査をすべて1回目から同じ東京都の3地域で2019年に行いましたが、都民の推定有病率は約49%にも急増しました。このように東京都の過去30年間あまりの4回の疫学調査から、スギ・ヒノキ花粉飛散数の増加とこれに伴う患者の増加は極めて強い因果関係にあることが立証されたことになります。

 もはや歯止めの効かなくなったスギ・ヒノキ花粉飛散の増加と花粉症患者の増加に手を拱いていたわけではなく、官民挙げての花粉症対策が1980年代から行われてきていますが、花粉飛散の抑制や花粉症撲滅の決定打がないことが事実でした。しかし、スギ花粉の飛散抑制に関しては無花粉スギの発見から苗の育成、植林にまで漕ぎつけており、さらに夏の気象や秋のスギ雄花の観察結果からいち早く翌年の花粉飛散数の予測が行なえるようになり、飛散開始前に花粉症の予防対策の大きな役割を果たしつつあります。一方花粉症治療の決め手となる新しい治療方法として「舌下免疫療法」が成果を挙げつつあることは花粉症撲滅に明るい光が見えてきたことになります。

調査研究成果

 筆者はスギ花粉を始め多くの花粉症原因花粉の調査研究を過去40年あまり行ってきました。その中で特にスギ花粉の全国的な飛散情況の調査を1986年から開始し、花粉の専門誌「日本花粉学会誌」に「○○年のスギ花粉前線」と題して今日まで30年あまり続けています。スギ花粉前線は図2のごとく全国の空中花粉調査協力者、施設((国の公共機関、大学、病院、企業、花粉症やアレルギー専門医など)から多い年は100地点余りのスギ花粉の飛散開始日の提供を受け、飛散開始旬別に線で区切って図にしたもので、丁度サクラの開花前線にヒントを得ています。この前線図から実は花粉症発症の予防対策に役立つ翌年のスギ花粉予測前線図を作成できるようになりました。

 筆者は花粉症撲滅を目指してより正確な花粉飛散予測や花粉情報の提供、さらに国民の健康と社会活動(ボランティア)に寄与する目的で全国有数の耳鼻科医、林業関連研究所の研究員、気象予報士、空中花粉研究者の有志により2001年に「特定非営利活動法人(NPO)花粉情報協会」を立ちあげました。これまでの17年余りの活動では毎年環境省の花粉情報のホームページや、東京都の花粉情報のホームページの資料作成に携わってきていますが、各地において講演や公開講演会、花粉実技講習会、さらに主に企業向けのスギ花粉予測セミナーを毎年秋に開催するなど積極的に活動してきました。これからも筆者個人では既に後期高齢者であるため、フィールドなどでの花粉調査はできませんが、体力の続くかぎり、花粉症の撲滅を夢で終わらせることのないように東京都の人口に匹敵する花粉症患者さんが快適な春が過ごせるように花粉と花粉症の正しい知識を機会あるごとに講演や助言をしてゆきたいと願っています。

佐橋記(2018. 6. 12)