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地域研究 > 生態系総合モニタリング

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谷津田 −Bottomland Rice Paddy−

稲刈り後の大草谷津 谷津田は谷津と呼ばれる地形(谷)の谷底が水田として利用されている場所である。台地の標高は20から30m、そこに樹枝状に刻まれた谷津の水田面は標高10m以下でしかない。台地の平坦面は下末吉海進(約1万5千年前)によって平らにされ、その後関東山地の活発な火山活動で厚く火山灰が堆積し、海が退いて陸地となった。最終氷期には海がさらにしりぞき、深い谷が刻まれた。それから再び気温が高まり、約6千年前の縄文時代には谷の奥深くまで海が入り込み、谷底は土砂で埋め立てられて平らになった。再び気温はゆっくりと低下し、海は退いた。干上がった浅い海は湿地となり、場所によっては森に覆われた。このような場所が水田として利用されるようになったのは、およそ2千年前の弥生時代である。このとき以来、田んぼはカエルたちの楽園となった。

 稲が生育する春から夏まで、水田には常時水をたたえる必要がある。農村には、水を確保し利用するための水利施設がさまざまな形で整えられていた。水田は水田だけで存在し稲作が行われるのではなく、農村には水を確保するための水源かんよう林や溜池、水を引く用水路、使わない水を流す排水路、種籾を浸して発芽させるための湧水の小さな池、農耕馬や牛の体を洗う大きな池などがセットになって存在していた。また、農家の庭先に目を向ければ、常に水の絶えない井戸や、庭の池、雨上がりの水溜まりなど、さまざまな水辺がある。谷津田とはこの水系網が比較的小さな集水域に集約されて存在し、古くから水田耕作が行なわれてきた場所である。

谷津田の変貌 谷津田では水の確保に困ることは少ないが、逆に1年中水の涸れない湿田であることによって水田での農作業に大きな苦労を伴い、機械化をはばんできた。しかしながら、稲そのものの生育にとっても水が必要なのは開花までであり、その後は水を抜いて乾かせた方が収量も良く刈り入れの作業もしやすいのである。そのため用水の確保と潅漑排水路の整備とともに乾田化が進められるようになっていった。このような近代化(乾田化)の波にあって、谷津田はその地形条件からごく最近まで農家にとっては排水不良の水田であったわけである。

 カエル類は、現生両生類の主要なグループの1つである。両生という文字は水中と陸上という2つの環境を利用して生きることを意味しており、生態学的な命名方法と言える。このように2つの環境を利用するという性質のため、どちらか一方の環境が欠けても生活が成り立たないということになる。谷津田は谷底が水田、その周りが森林や草原となっていて、浅い水域と陸上環境がモザイク的に配置されている。そのため両生類にとっては非常に生活しやすい環境となっている。

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