掲載:2014年6月19日

■定年退職の挨拶と退職記念シンポジウムでの講演要旨

退職のご挨拶

 ぼくは、2014年3月31日に東邦大学を定年退職しました。アホウドリの保護研究を始めた直後の1977年4月1日に、理学部助手(海洋生物学研究室)として採用されてから37年間にわたって、野外調査にもとづく研究を継続することができました。このような長期の研究は、東邦大学理学部以外ではおそらく不可能だったにちがいありません。夢を追い続けることを可能にしてくれた東邦大学からの心ある配慮に対して、ぼくは深く感謝いたします。

  また、「アホウドリ基金」(1992〜2009)、「静岡アルバトロスの会」(1996〜2004)に協力してくださったほんとうに多くのみなさんに、心から感謝いたします。そうした資金的支援がなければ、新コロニー形成のための「デコイ作戦」(1992〜2005)は成功を収めることができず、野外調査の継続も従来コロニー保全管理工事の補完作業(2005〜2009、2013)も不可能でした。

  こうした長期にわたる野外調査と多くの人々や組織との連携・協力の結果、保護研究を始めた当初、繁殖つがい数は約42組、総個体数が200羽弱と推定された鳥島のアホウドリ集団は、現在、609組のつがいが繁殖し、総個体数は約3,500羽余りとなり、まさに劇的な回復を遂げました。

  もし、繁殖地や採食場所である海洋の環境が変わらなければ、5年後の2018-19年繁殖期に鳥島では約850組のつがいが産卵し、潜在的繁殖つがい数は1,000組を超え、繁殖後の集団の総個体数は5,000羽に到達すると予測されます。ぼくは、それまでを自らの責任期間と考え、個体群監視調査(モニタリング)を続け、必要性が生じた場合には従来コロニーの保全作業を行ないます。

  東邦大学の配慮によって、今後もこのバーチャルラボラトリーに野外調査の結果(6月・12月)やアホウドリ類に関連する新情報(随時)を掲載することが可能になりました。みなさんのご期待に添うように、努力いたします。どうかよろしくお願いします。

長谷川 博


退職記念シンポジウム(2014年3月8日)の講演要旨(再録)

アホウドリからオキノタユウへ

長谷川 博(東邦大学理学部)

野外研究へのあこがれ

 ぼくは静岡市を南北に流れる安倍川の中流域で生まれ育ち、河原や山野で遊ぶことが大好きだった。虫や魚、獣など多くの生き物に興味をもったが、一番好きになったのは鳥だった。高校1年生の時、遺伝学者木原均先生の講演を聴き、上映されたカラコルム・ヒンズークシ学術探検の記録映画を観て野外研究にあこがれた。志望の大学に入学したが、大学闘争が始まり、ほとんど勉強できなかった。

アホウドリ保護研究のきっかけ

 大学院に進んで鳥類生態の研究をしていた1973年5月、アホウドリの調査を終えたばかりのイギリス人鳥類学者ランス・ティッケルさん(Dr. Lance Tickell)に出会って強い刺激を受け、アホウドリの保護研究を志した。しかし、実際にこの鳥の繁殖地の鳥島に近づいたのは、それから3年半後の1976年11月中旬で、初めて上陸したのは翌77年3月下旬だった。この調査から帰った直後、幸運にも東邦大学理学部への就職が決まった(77年4月、海洋生物学研究室・助手)。こうして拾われたおかげで、ぼくはアホウドリの保護研究を継続することができた。

従来コロニーの営巣環境改善

 最初の上陸調査のとき、生存していたひなは15羽だけだった。そのほかに、成鳥と若鳥を合わせて71羽を観察し、ひなの死体4羽、若鳥の死体3羽を確認した。繁殖に失敗するつがいが多く、若鳥死亡率の増加も懸念された。この状態を放置すれば、巣立つひなの数が減り、いずれは繁殖つがい数が減り、アホウドリ集団が減少すると予想された。どうにかしなければならない、と強く思った。

 この苦境を打開するためには、まず、繁殖成功率を引き上げることが必要だった。繁殖コロニー(集団営巣地)は急斜面にあり、営巣地の植生が衰退していた。それが原因だと考え、ススキとイソギクの株を移植して、植生を回復し、地面を安定させることを提案した。そうすれば、好適な営巣地が造成されて、1)全体として繁殖成功率が改善し、2)植生によって風雨の影響が緩和され、繁殖成功率の年変動が減少し、さらに、3)繁殖成功率が東西2地区の営巣地間で等しくなる、と予測した。

 1981年と82年に、環境庁・東京都は植栽工事を実施した。6年間の追跡調査を行なった結果、予測は的中し、繁殖成功率は約67%に引き上げられ、巣立ちひな数は50羽を超えた。

従来コロニーの保全管理

 1987年の秋、従来コロニーのある斜面で地滑り(表層崩壊)が起こり、その後、泥流が頻繁に営巣地に流入した。その結果、移植した草株は泥流に埋まって枯れ、卵やひなも泥流の犠牲になり、繁殖成功率は再び40%台に低下した。もし、斜面で再び地滑りが起これば、従来コロニーは壊滅すると予測された。この緊急事態に対処するため、砂防と植栽による従来コロニーの保全管理を提案した。

 環境省・東京都は、1993年に大規模な砂防工事を実施し、翌年から2004年まで従来コロニーの保全管理工事を継続した。さらに、ぼく自身で2005年から2009年まで保全管理の補完作業を継続した。

 この保全管理工事の結果、繁殖成功率は以前の水準(67%)を回復し、従来コロニーからの巣立ったひな数は1998年に100羽を超え、2007年に200羽を超え、2013年には296羽になった。さらに、最近の繁殖成功率は約70%に上昇した。この成功により、従来コロニーは飽和状態に近づいた。

デコイと音声による新コロニーの形成

 地滑りの脅威を取り除くためには、従来コロニーの保全管理だけでは不十分で、地滑りが起こらない、島内の安全な場所に、新しいコロニーを形成することが必要だった。そのために、デコイと音声を利用して繁殖年齢前の若鳥を社会的に誘引する計画を提案した(クレスの方法)。

 環境省・山階鳥類研究所と協力して、1992-93年繁殖期から、鳥島の北西側にある広い斜面で「デコイ作戦」を展開した。作戦の開始から12年後の2004年に、4組のつがいが産卵して新コロニーは確立した。その後、従来コロニーから巣立った若い個体が数多く移入して、新コロニーは急速に成長し、9年後の2013年には148組になり、鳥島集団の1/4を占めるまでになった。予想は的中した。

鳥島集団の未来

 鳥島集団はこれまで34年間、毎年7.55%の増加率で指数関数的に成長してきた(9.5年で倍増)。2013年現在、繁殖つがい数は609組で、繁殖期後に総個体数が約3550羽になり、2020年に約1000組、6000羽、2030年には2000組、10000羽を超すと予測される。鳥島集団の再確立は確実になった。

アホウドリからオキノタユウへ

 ぼくは、37年間以上にわたって、この海鳥を地球上によみがえらせるための調査研究と野外作業を続けてきて、もう"アホウドリ"とは呼べなくなった。それに換えて、この鳥にふさわしい"オキノタユウ"と呼ぶことを提案した。ツルよりも長生きで、オシドリよりも夫婦仲がよく、美しいオキノタユウは、人間にとって長寿と幸福の象徴になるであろう。