後藤先生の徒然日記

野生カエルの寿命 (2008年5月15日)

 半月ばかり前に京成酒々井駅から研究所のある順天堂大学佐倉キャンパスへの道の両側に広がる枯れた水田に水が入り、間もなく田植えが始まった。 中学生になって英語を習いはじめた頃、"水曜日"は"田んぼに稲をWednesday"などと覚えたことを思い出す。 田んぼに水が入るとどこからともなく賑やかなカエルの合唱が聞こえてきた。道草を食いながら何とか見つけたいと思って目を凝らすが姿は見えない。 ・・・中学時代のカエルの思い出はディズニーのアニメ映画「空飛ぶゾウ ダンボ」だ(1954年日本公開):木にとまった数匹のカラスがいじめられっ子のダンボを励まして"コゾウが空を飛んだとさ"とか何とか歌う場面があった(と思う)。 同じ頃、一緒に映画をみたクラスメートのU君が「カエルは、はらわたを吐き出してまた飲み込むことがある」という話を仕入れてきて披露したのに、あり得ないことだとアニメのセリフを真似て "カエルがはらわた出したとさ"からかったことがずっと気になっていた。 何年か前にたまたま読んだ学術誌の投書欄に、毒虫をうっかり食べてしまったカエルが胃をひっくり返して(靴下を脱ぐと裏返しになるように)口から出して、中を水で洗ってから元通りに戻すという、冗談のような話が出ていた(Nature 380: 30, 1996)。 今も親交があるU君に脱帽し、無知を恥じる次第。それにしても面白い。

 カエルは愛すべき小動物でテレビの動物番組にも時々登場するが、老化についてはあまり知られていない。 僕が知っているのはヒキガエルの寿命の研究だ。東邦大学在職中、習志野図書館(現在の習志野メディアセンターの前身)に『金沢城のヒキガエル』(どうぶつ社、1995年刊)という本が入った。 金沢大学理学部に赴任された奥野良之助先生が金沢城跡に生息するヒキガエルを個体識別し(手足の指関節を切って標識するというチョッとかわいそうな方法だが)10年以上追跡調査された研究結果を一般向けの本にしたもので、合計1500匹以上を観察した労作だ。

 野生動物の個体別寿命データなどめったにないので、面白いと思って年齢と生存率の関係を二通りにプロットしてみた(左の図は通常のプロット:縦軸(生存率)、横軸(年齢)とも等間隔の目盛;右の図は縦軸の目盛が10倍ごとに等間隔になっている片対数プロット。片対数プロットで直線になるというのは死が確率的に起こっていることを示す)。

 研究室で飼われている動物や文明国に住むヒトの生存曲線は一般に右肩下がりになるが( 図13参照)、野生ではそうはならならない。野生では個体の寿命は確率的に決まると考えられている。金沢城のヒキガエルでも片対数グラフにプロットすると直線になり、このことが裏付けられた。 "確率的"というのは、多くの個体が年を取って病気で死ぬのではなくトリやヘビに食われたり、自動車に引かれたりする(野生ヒキガエルの場合)、いわば事故死が主な死因だと考えられるからである。 死が確率的なら沢山の個体を観察すれば不老不死のカエルもいると思うかもしれないが、そうはならない。 "事故死"を免れた個体もやがては感染やがんなどによる臓器不全で死ぬ。観察されたヒキガエルの最長寿命は11年だったとのことである。

 ついでながら、最近読んだ小泉八雲『明治日本の面影』(講談社学術文庫)の中にカエルにまつわる面白い話があった:蛍は鳥にとっては大変味が悪いらしいという話のあとに『蛙はまずい味でも一向に頓着しない。 あの冷たいお腹に蛍をたらふく詰め込んで、光が蛙の腹の皮を通して輝く様は、ちょっとろうそくの炎が瀬戸物の壷をすかして光るのににている』と動物の発光を専門とする東京帝大の生物学教授の受け売り話を紹介している(同書、427ページ)。 カエルのお腹が光って点滅する姿を想像するのは愉快だ。まさかと思うけれど「カエルのはらわた」同様、本当の話なのだろう。

 今年は絶滅が危惧される両生類を救済する運動を広げる"国際カエル年"だそうだ。 気候変動や皮膚に寄生する病原性カビの感染で絶滅に瀕している種類がいるという。こうなると長寿を全うできる個体もいなくなる。種そのものの存続が危うくなる。 ヒトの生存環境の悪化を象徴してもいる。運動の成果を期待したい。 田んぼからカエルの鳴き声が消えたサイレント・スプリングは寂しい。

 

 

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